著者のコラム一覧
田中幾太郎ジャーナリスト

1958年、東京都生まれ。「週刊現代」記者を経てフリー。医療問題企業経営などにつ いて月刊誌や日刊ゲンダイに執筆。著書に「慶應幼稚舎の秘密」(ベスト新書)、 「慶應三田会の人脈と実力」(宝島新書)「三菱財閥 最強の秘密」(同)など。 日刊ゲンダイDIGITALで連載「名門校のトリビア」を書籍化した「名門校の真実」が好評発売中。

日比谷高校の東大合格者数“復活”に尽力した3人の立役者

公開日: 更新日:

「一中、一高、帝大」とは、戦前のエリートコースの代名詞。帝大(東京帝国大)は現在の東大、一高(第一高等学校)は東大教養学部前期課程、そして一中(東京府立第一中学)が都立日比谷高校(東京・永田町)である。

 一中はいわば、日本のエスタブリッシュメントへの入口だったわけだが、それは戦後に日比谷高となっても変わらなかった。1965年までずっと東大合格者数トップ。64年には192人もの合格者を東大に送り込んだ。この記録は2012年に開成高が203人という驚異の数字を叩き出すまで半世紀近く抜かれることはなかった。

 66年、都立西高にトップの座を明け渡したが、翌年再び返り咲き、日比谷高の天下は当分、続くかと思われた。だが、まもなく凋落が始まる。その原因は「日比谷つぶし」とも言われた67年からの都立高の学校群制度導入である。学区内に2~4校の群をつくり、合格者をそのグループ各校で振り分けるという方式だ。都立高の格差をなくし、加熱する受験戦争を緩和するのが狙いだった。日比谷高は九段高と三田高と同じ群になった。

「日比谷を目指してせっかく合格したのに、九段や三田に振り分けられ、それを蹴って私立に行った同級生が少なくなかった」と振り返るのは、学校群制度導入3期目に日比谷高に入学したOB。

最新のライフ記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    広陵暴力問題の闇…名門大学の推薦取り消し相次ぎ、中井監督の母校・大商大が「落ち穂拾い」

  2. 2

    志村けんさん急逝から5年で豪邸やロールス・ロイスを次々処分も…フジテレビ問題でも際立つ偉大さ

  3. 3

    (4)指揮官が密かに温める虎戦士「クビ切りリスト」…井上広大ら中堅どころ3人、ベテラン2人が対象か

  4. 4

    今なら炎上だけじゃ収まらない…星野監督は正捕手・中村武志さんを日常的にボコボコに

  5. 5

    「高市早苗総裁」爆誕なら自民党は下野の可能性も…“党総裁=首相”とはならないワケ

  1. 6

    志村けんさん急逝から5年、更地になった豪邸の記憶…いしのようことの“逢瀬の日々”

  2. 7

    佐々木朗希いったい何様? ロッテ球団スタッフ3人引き抜きメジャー帯同の波紋

  3. 8

    広陵辞退騒動だけじゃない!「監督が子供を血だらけに」…熱戦の裏で飛び交った“怪文書”

  4. 9

    広陵野球部は“廃部”へ一直線…加害生徒が被害生徒側を名誉棄損で告訴の異常事態

  5. 10

    (3)阪神チーム改革のキモは「脱岡田」にあり…前監督との“暗闘”は就任直後に始まった