源義経(1)一ノ谷の戦いで「鵯越の逆落とし」は本当にやったのか
源平合戦における「天下分け目の戦い」といってよいでしょう。ただ、歴史に詳しくない方にも分かりやすくするなら、「一ノ谷の戦い」より「福原の戦い」、もっといえば「神戸の戦い」と呼んだ方がいいのではないか。ぼくなどは、そんなことも考えます。
ところが現在では、そもそも「鵯越の逆落とし」は本当に義経が行ったのか、という疑問が出されています。このとき義経は別動隊を率いて活動しており、一ノ谷の陣そのものを攻撃したとは考えにくいというのです。逆落としを行ったのは、同じ源氏でも甲斐源氏の安田義定だったという説もあります。義経がきわめて攻撃的な武将だったというイメージをもとに、後世、この華々しい物語がつくられたのかもしれません。
さて、一ノ谷で勝った鎌倉勢は、ここから2つの動きを見せます。私たちは源平合戦というと、一ノ谷の次は屋島、その次は壇ノ浦、と義経を中心に考えがちです。しかし、その間に忘れてはならない軍勢がありました。源範頼を大将として、中国地方を西へ進んでいった軍です。こちらこそ鎌倉勢の本隊でした。

















