「仁淀川蒸留所」山崎祐大氏は独学でウイスキー造り「メード・イン・高知で世界を目指す」
日本で最も失敗を経験
──そもそもウイスキーを造ることになったきっかけは。
近畿大の生物理工学部で梅の成分が体に与える影響の研究を続け、食品の仕事に就きたくて和歌山の「プラム食品」に入社しました。昔は傷が付いた梅は捨てていて、それを利用できないかという理念で創立された会社です。今は傷が付いた梅も当時の5倍の価格になり、社長が創業時の目的を果たしたと判断し、創業50年目の事業として2017年に立ち上げたのが、ウイスキーの製造です。世界中で採れる大麦を使ったウイスキーが最適と考え、製造責任者となり、独学で勉強を始めました。「ウイスキーブーム」が起こる前のことです。
──気の長くなる作業だったのでは。
当時は「大麦を溶かして麦汁を作るらしい」という程度の知識しかなく、ネットで「おつまみ用大麦」を買い、ミキサーで潰したのですが、食品として加熱され、酵素が死んでいたことすら知りませんでした。途中で「何で糖化できんのかな」と疑問を抱き、次は加熱してない大麦を溶かし、糖度を測り、電卓で計算しながら「量が違う」「増やしてみよう」という作業を繰り返しました。何百年も続くウイスキーの歴史を手作業で1年間でギュッとやったイメージです。アマゾンで「蒸留器」を2万円で買って、糖化した麦汁に酵母を放り込み、アルコールが出たら蒸留して糖度を高める。そうやって試行錯誤を重ねたらできちゃった感じです。大型の機械を入れた後の失敗でいえば、会社に数千万円の損をさせましたが、それでも「いいものができるんだったらいいよ。好きにしていい」と研究開発を続けさせてくれました。
──サントリーの創業者の鳥井信治郎さんのような社長ですね。
あの会社のおかげでスコットランド人が数百年かけてやった失敗を全部やりました。日本で誰より失敗したと思います。それが僕の強みです。失敗しても全然心が折れなくて、むしろ失敗を繰り返すことによって、いい方向に向かっていった。生きている酵素で再挑戦したらうまくいった。教科書がない分、自分で答えを見つけた時はうれしかった。当時、お酒はほとんど飲まなかったのですが、鼻がめちゃくちゃ良くて、それが役立ちました。
──目の付けどころとタイミングが良かったのですね。
ウイスキーは賞味期限がないので、海外に持って行くのに最も適しています。日本より暑い台湾のシングルモルト「カバラン」が世界一の賞を何度も取り、6年くらい前まで世界の常識は「暑いところのウイスキーなんて考えられへん」だったのが、「暑い地域のウイスキーは熟成が早く、おいしい」と認識が変わりました。今まで暑いところで造っていなかったので、誰も分かってなかった。10年かけないとおいしくならないとか、そういう固定観念が今は2、3年でできる、その方が、効率がいいとなった。
──今年仕込んだ原酒が29年に完成するそうですね。
ものすごくスタンダードな中間の味になるようにしています。マッシュタン(糖化タンク)と蒸留器は味を想像しながら全部自分で図面を描き、フルオーダーしました。参考にしたのはニッカウヰスキーの余市と宮城峡です。余市はクセをすごく残し、宮城峡は全く逆で軽やかで華やかなウイスキーを造る蒸留器になっています。同じ会社で両極端の蒸留器で造っているのが面白く、どんどんのめり込んで勉強しました。機械の形をちょっと変えるだけで、味が変わります。
──仁淀川町は特別な存在ですか。
初めての原酒ができた時点で、世界で勝負したいという気持ちが芽生えました。もう一つはやっぱり仁淀川の地域の活性化につながり、世界から注目されれば、地域にとってもありがたい。生まれ育った高知の自然の恵みを引き立て、町が世界に誇れるようなウイスキーを造りたい。今、近くの「大渡ダム」で熟成する計画があります。ダムの中って空洞なんです。湿気も高く、寒いし、ずっと揺れています。ウイスキーは振動した方が良く、そこで熟成させれば最高のウイスキーができるし、見学に来る人も増えます。将来的には泊まり込みで発酵蒸留を体験してもらい、仁淀川でSUPや川下りを楽しむ5日間のツアーをやりたい。移住してからこの2年間苦労したってことがなくて、運が良く、地元の皆さんに助けられ続けています。
■仁淀川蒸留所
(住)高知県吾川郡仁淀川町竹ノ谷18-2
(℡)0889-20-9795
▽山崎祐大(やまざき・ゆうだい)高知県春野町出身。近畿大生物理工学部卒業後、「プラム食品」入社。飲料、ジャム、ゼリー、酒類の研究開発を行う。2024年、神息酒造奈良蒸溜所(奈良)と紀州熊野蒸溜所(和歌山)でチーフブレンダー兼製造責任者に就任。神息酒造奈良蒸溜所製造のウイスキー「神息(KAMIKI)」は、ニューヨークの大会で最優秀賞を2年連続受賞した。

















