トップ営業マンから異色の転身 鎮西・江上監督を直撃
――なのに、それを断って母校の監督になった。家族の反応は?
「妻は大反対でした(苦笑い)。ホンダでは大変良い給料を頂いてましたが、監督の収入は半分程度。娘2人を養って、住宅ローンも残っている。妻はそれまで3食昼寝付きだったけど、今はパートに出てもらってます」
■公立校に負けて学校に抗議電話
――それでも監督をやりたかったと。
「上田理事長から『社会に出たときに社会に貢献できる人材を育てて欲しい』と誘っていただき、決心しました。部員には『社会に出て信頼される人間になれ』と常に言っています。教員免許がない僕ですが、OBであることや社会人時代の経験を買ってもらったのだと思います。これまで『甲子園に行ってくれ』と言われたことは一度もありません。(昨夏の)県大会で(前評判の高くない)公立校に負けたときも、何も言われませんでした。学校には抗議の電話が殺到したみたいですけど(苦笑い)。監督になって10年になりますが、(07年には)不祥事で1年間の謹慎を受けたこともあります。あの時は本当にいろいろありました。勉強をさせてもらいました。だからこそ今があると思っています」