未経験なのに…突然の二塁起用に「はい」としか言えず
野村監督がヤクルトの指揮を執るようになったのは、僕がプロ入り4年目の1990年から。この年に僕はいきなり捕手から二塁手にコンバートされました。これは野村監督も著書で書いていますが、春季キャンプで僕のキャッチャーミットを取り上げたという話があります。本の中には、ミットをいくらで下取りに出したとか書かれていますが……。もはや伝説のように語られている話ですけど、実はこれ、本当のことではありません。キャンプ中は捕手としてのメニューをこなしていましたし、下取りと言われてもお金ももらってませんから。
おそらく、監督なりのジョークでしょう。話を大げさにすることも、たまにありましたからね。
ただ、キャンプ中に僕の走力を評価してくれたのか、「なんでおまえキャッチャーやってんだ」と言われたことはあります。「キャッチャーやってたら、足遅くなるぞ」とも言われました。
■「何で飯田を?」
90年、僕は代走兼第3捕手というような形で、開幕一軍。代走としての出番が多かったですね。二塁を守るきっかけになったのは、4月21日の広島戦です。二塁のレギュラー、笘篠賢治さんがバッティングで調子を崩していたので、僕が代打で出場。ホームランを打ちました。