2215試合連続出場の故・衣笠祥雄さんが37歳にして初めて打率3割超をマークできたワケ
「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第38回=2020年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。
今回は故・衣笠祥雄氏について綴られた、内田順三氏による「巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第38回=2020年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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私が二軍打撃コーチに就任した1983年春のキャンプ。二軍の夜間練習を指導する新米コーチの私に「ウチ、頑張ってるか?」と1学年上の山本浩二さんと衣笠祥雄さん(キヌさん=享年71)が、激励がてら練習場に来てくれたことがある。「ミスター赤ヘル」と「鉄人」は若手の練習を見ながら「おまえ、いいスイングするじゃねえか」と声をかけて回ってくれた。若手は目を輝かせている。私が言うより効果は絶大だった。
キヌさんは同学年の浩二さんと正反対な部分が多かった。