「翠雨の人」伊与原新著
「翠雨の人」伊与原新著
大正9年生まれの勝子は幼い頃から雨が降ることが不思議で仕方なく、その好奇心から理数系が得意だった。紫陽花と雨が好きだった少女は、医師を目指すも東京女子医学専門学校の面接において憧れていた医師吉岡彌生に失望し、出来たばかりの帝国女子理学専門学校へ進学。それが勝子の人生の大きな分かれ道となった。
物理学を専攻、実習先の中央気象台での研究が評価され、気象台に就職。昭和16年の開戦を機に気象情報が軍事機密となった戦時下で、化学者の三宅泰雄のもと、勝子は北海道、疎開先の長野で霧発生の予知及び霧の人工消散法の開発に資する基礎データを収集。その一方で勝子は、戦争と科学の関係に悩む。やがて広島、長崎に原爆投下のニュースが耳に入り──。
戦後、ビキニ水爆実験の放射能汚染の実態究明に打ち込み、核実験の抑止につながる影響を国際社会に与えた科学者猿橋勝子の生涯を描いた長編小説。勝子の生涯を通して、日本の科学界の発展をも浮かび上がらせた。
緻密に描かれる科学実験の様子は、理学博士でもある著者ならでは。「人類を幸せにする」という科学の目的を胸に一途に取り組む姿と、周囲に「頑固で面倒くさい人」と言われた人間味あふれる勝子の波瀾万丈の人生が読者の心を惹きつけるだろう。 (新潮社 1980円)