著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

日本代表GK谷の背番号4を見ながらメキシコ五輪・岡野コーチの選手兼任の珍事を思い出した

公開日: 更新日:

 メキシコ入りした岡野俊一郎コーチ(故人=JFA第9代会長)が、旧知の地元オリンピック協会の役員に会った際、「どうして日本は18人なんだ。あなたが選手登録すればいいじゃないか」と言われたそうだ。

■岡野コーチ兼選手の胸にも銅メダル

 その報告を受けた長沼健監督(故人・JFA第8代会長)は、岡野氏をコーチ兼選手とした。

 大会の出場チームは今も当時も同じ16だが、ブラジルとチェコスロバキア、タイの3カ国は18名で、日本を含む13カ国が19名を登録した。

 岡野コーチは、もちろん1試合も出場することはなかった。が、3位決定戦でホスト国のメキシコを破り、出席することになった表彰式では、銅メダルメンバーの一員として、首にメダルをかけてもらったのだった。

 当時のサッカーマガジンに掲載された長沼監督のノート(手記)「われらかく戦えり」に次のような記述がある。

「表彰式、八重樫以下十九名の選手(岡野コーチを含む)の胸に価値ある銅メダルが輝き、日の丸が堂々とポールに上がった。この日のためにーー(以下略)」

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