著者のコラム一覧
Ricardo Setyonジャーナリスト

リカルド・セティオン 1963年生まれ。サンパウロ出身。中東戦争やユーゴスラビア紛争などを現地取材。スポーツジャーナリストに転身し、8カ国語を操りながらブラジルメディア以外にも英「ワールドサッカー」、伊「グエリン・スポルティーボ」など幅広く執筆。BBCのラジオ番組にも出演。98年、02年のW杯期間中にブラジル代表付き広報を務めた。現在もジーコ、ロナウド、ロナウジーニョ、カフー、ドゥンガら大物との親交も厚い。13年コンフェデレーションズカップではFIFA審判団の広報。国内では「ワールドサッカーダイジェスト」「スポルティーバ」などでコラムを執筆中。ブラジルのマッケンジー大、パナマのパナマ大、イスラエルのハイファ大などでスポーツマネージメントの講義を行う。自他ともに認める「サッカークレージー」。

ペレは戦争を2度止めた! 70年代“サッカーの王様”はコーラの次に有名な名前

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ペレは優しくて偉大なボクのチャンピオン

「ブラジル人は他国に比べてレジェンドを大事にしない」

 昨年12月にカカが呈した苦言だ。でも、カカ自身も葬儀に来なくて、自らの言葉の正しさを証明してしまった。かつてペレから年間最優秀選手のトロフィーを渡してもらったっていうのにね。

 ちなみに2020年にマラドーナが亡くなった時は、まだコロナ禍だったけど多くのアルゼンチン選手たちが弔問に訪れていたよ。

 ペレの葬列は50万人にのぼった。その多くは短パンにサンダルを履いた、ペレのおかげで何度も幸せを味わわせてもらった名もない人たちだ。オンボロの自転車をきしませながらこぎ続け、最後の別れをしようと必死に葬列の後を追っていた。ボクもスクーターでペレのひつぎを追いかけたよ。

 思えばボクがサッカーを仕事にしようと思ったのもペレのプレーを見たからだし、幸運にも94年にチュニジアで行われたアフリカネーションズカップに、マスターカードの関係でゲストとして呼ばれていたペレの通訳を務めることができて、それから交流が続いた。ペレはいつもボクを見つけると「リカルド」と名前を呼んでくれて、必ずボクの胸を2度、手のひらで叩いてくれた。その時のペレの柔和な表情を思い出しながら、ボクはペレを見送った。優しくて偉大なボクのチャンピオンだった。

▽翻訳=利根川晶子(とねがわ・あきこ) 埼玉県出身。通訳・翻訳家。82年W杯を制したイタリア代表のMFタルデッリの雄叫びに魅せられ、89年からローマ在住。90年イタリアW杯を目の当たりにしながらセリアAに傾倒した。サッカー関連記事の取材・執筆、サッカー番組やイベントで翻訳・通訳を手がける。「カカから日本のサッカー少年へ73のメッセージ」「ゴールこそ、すべて スキラッチ自伝」「ザッケローニ 新たなる挑戦」など著書・訳書多数。

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