著者のコラム一覧
Ricardo Setyonジャーナリスト

リカルド・セティオン 1963年生まれ。サンパウロ出身。中東戦争やユーゴスラビア紛争などを現地取材。スポーツジャーナリストに転身し、8カ国語を操りながらブラジルメディア以外にも英「ワールドサッカー」、伊「グエリン・スポルティーボ」など幅広く執筆。BBCのラジオ番組にも出演。98年、02年のW杯期間中にブラジル代表付き広報を務めた。現在もジーコ、ロナウド、ロナウジーニョ、カフー、ドゥンガら大物との親交も厚い。13年コンフェデレーションズカップではFIFA審判団の広報。国内では「ワールドサッカーダイジェスト」「スポルティーバ」などでコラムを執筆中。ブラジルのマッケンジー大、パナマのパナマ大、イスラエルのハイファ大などでスポーツマネージメントの講義を行う。自他ともに認める「サッカークレージー」。

ペレは戦争を2度止めた! 70年代“サッカーの王様”はコーラの次に有名な名前

公開日: 更新日:

イエローカード導入のきっかけ

 何よりペレが現役だった時代は、イエローカードもレッドカードもなかった。審判は笛を吹いて注意しておしまい。そんなんじゃファウルをやったモン勝ち。66年大会でペレはポルトガルのDFからひどいラフプレーを受け、負傷退場した。以前、本人に足を見せてもらったことがあるんだけど、そこには削られ続けた傷痕がたくさん残っていたよ。そんなサッカーに嫌気がさして「もう二度とW杯には出ない」って宣言したので、70年大会からやっとカードが導入されることになったんだ。

 全てはペレのおかげだよ。今では考えられない劣悪な環境の中で1000ゴールを達成した。「この数字にはウソがある」なんて言う人がいるけど、当時と同じ条件でプレーしてみろ! って言ってやりたいね。きっと数ゴールすら決められないだろう。

 ネイマールたちブラジル代表の現役選手、元選手の多くが、葬儀に顔を出さなかったことにホント腹が立った。

 FIFAのインファンティノ会長やブラジルのルラ新大統領の姿はあったのに、サッカー選手の姿がほとんどなかったんだ。

 同世代の元チームメートが参列するのが難しいのは分かる。亡くなっている人もいるし、ザガロは91歳だし、リベリーノはショックを受けて具合が悪くなった。だけどペレの後輩たち、彼の恩恵を受けてきた選手は大勢いたはずだよ。姿を現したのはファルカン、カレッカ、94年の優勝メンバーではマウロ・シルバだけだ。ロナウドもロナウジーニョもチッチも花を送って終わり。国会議員のロマーリオなんて来て当然なのに当日、ショッピングセンターで目撃されているんだ。

 ネイマールはかなり非難されている。彼はペレと同じサントスの出身だし、これまで散々お世話になっているはずだ。ヨーロッパでプレーする選手に「ブラジルまで戻ってこい」と要求するのは酷かもしれない。ペレも試合を犠牲にしてまでの弔問は望まないだろう。しかし! ネイマールが叩かれているのはそこじゃない。葬儀の日にパーティーを開いて歌って踊っていたんだ。まるでリスペクトが感じられない。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ドジャース佐々木朗希に向けられる“疑いの目”…逃げ癖ついたロッテ時代はチーム内で信頼されず

  2. 2

    ドジャース佐々木朗希の離脱は「オオカミ少年」の自業自得…ロッテ時代から繰り返した悪癖のツケ

  3. 3

    注目集まる「キャスター」後の永野芽郁の俳優人生…テレビ局が起用しづらい「業界内の暗黙ルール」とは

  4. 4

    柳田悠岐の戦線復帰に球団内外で「微妙な温度差」…ソフトBは決して歓迎ムードだけじゃない

  5. 5

    女子学院から東大文Ⅲに進んだ膳場貴子が“進振り”で医学部を目指したナゾ

  1. 6

    大阪万博“唯一の目玉”水上ショーもはや再開不能…レジオネラ菌が指針値の20倍から約50倍に!

  2. 7

    ローラの「田植え」素足だけでないもう1つのトバッチリ…“パソナ案件”ジローラモと同列扱いに

  3. 8

    ヤクルト高津監督「途中休養Xデー」が話題だが…球団関係者から聞こえる「意外な展望」

  4. 9

    “貧弱”佐々木朗希は今季絶望まである…右肩痛は原因不明でお手上げ、引退に追い込まれるケースも

  5. 10

    備蓄米報道でも連日登場…スーパー「アキダイ」はなぜテレビ局から重宝される?