実はこのころ、国鉄は物騒な事件に襲われていた。職員削減が絡んだ下山定則総裁の轢死(れきし)事件、無人列車暴走の三鷹事件、列車転覆の松川事件と闇また闇……。プロ野球界も選手引き抜きの無法が横行していた。そんな大荒れの世界に超大荒れ組織が飛び込んできたのである。敗戦間もない慌ただしい日本を象徴する出来事の一つだった。
言い出しっぺの西垣が「月給7万円の監督」に。選手獲得も含め全権を背負った。全国に鉄道管理局の野球部があり、実力はともかく何人かの選手はそこで賄った。チーム名は特急つばめから「国鉄スワローズ」に。語呂が良かった。