長嶋茂雄監督は相手の攻撃時にすごく臆病になった。ピンチでソワソワ、ベンチの隅に隠れていた
「昭和49年秋、監督になる長嶋さんから(ホテル)ニューオータニに呼ばれて引退勧告を受けました。『会社が、黒ちゃんは力が衰えたから来季の契約はしない。コーチもダメだって』と。私は、引退しろというのなら従いますが、コーチ補佐でもいい、球団に残してくださいと頭を下げました。2、3日すると長嶋さんから『黒ちゃん、コーチ補佐の件はOKだよ。でも、コーチって給料安いんだってね』との連絡がありました。月給は新築した家のローンと同額の30万円でした」
長嶋監督1年目の開幕直後。阪神戦(甲子園)の一回裏に無死一、三塁のピンチを迎え、巨人の内野陣は前進守備を敷いた。
「びっくりしました。初回ですから1点やってもゲッツーを取るべき場面。前年まで川上監督のヘッドだった牧野(茂=当時評論家)さんがネット裏からベンチ裏に飛んできて、『何であの守備隊形なんだ!』とすごいケンマクでした」
数日後、黒江氏は長嶋監督とこんな会話をした。「甲子園の件ですが、(作戦担当の須藤豊)コーチから、事前に守備位置の話はなかったのですか」「アイツは、どうしますか? としか言わなかった」「監督は慣れていないのですから迷ってもしょうがないです。あの場面、1点やってもいいのですから、私なら守備位置は後ろにしますか、中間ですかと、2つの選択肢を提示します」