長嶋茂雄監督は相手の攻撃時にすごく臆病になった。ピンチでソワソワ、ベンチの隅に隠れていた
黒江氏は口が過ぎて長嶋監督を怒らせたこともあった。
「納得できない采配だったので、試合後監督室に行って『あの作戦はどういう意図でやられたのですか?』と質問すると、長嶋さんは顔色を変えて『いいからやればいいんだよ!』と珍しく声を荒らげました。次の日、監督はこういう作戦をやりたかったのではないかということをメモにして渡しました。長嶋さんは手紙を読む時、右手の人さし指で字を追う癖がある。指を動かしメモを読み終えると『何だ、わかってたんじゃないか』と言われてホッとしたものです」
長嶋監督は就任2年目に優勝。3連覇を逃した53年に黒江コーチは退任する。
「長嶋さんに『片腕としてよくやってくれたけど、球団の考えなんだ。申し訳ないが辞めてくれ』と。私は涙ながらに『片腕の黒江を切るなら私も辞めますと、なぜ言ってくれなかったのですか』と訴えました。むちゃなことを言ったものです」
6年に及んだ第1次長嶋政権の優勝は2度に終わった。
▼1938年12月12日、台湾・台北市生まれ、鹿児島県育ち。鹿児島高卒後、社会人野球を経て1964年に読売ジャイアンツ入団。長嶋さんとともにV9時代を支え、1974年に引退。通算1135試合出場、打率.265、57本塁打、371打点。引退後は巨人、中日、西武、ロッテ、ダイエー、横浜でコーチ・ヘッドコーチを歴任した。
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当連載【プレイバック「私が見た長嶋茂雄」】は随時公開。