「インパクトはパン、パン、パーンよ」 ミスター流指導の“擬音連発”に選手は困惑しつつも…
元巨人二軍監督の内田順三氏による「ユニホーム着続け50年 巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第33回=2020年)を再公開
“燃える男”、“ミスター”の愛称で国民的人気を誇ったプロ野球元巨人監督の長嶋茂雄さんが6月3日、都内の病院で肺炎のために亡くなった。享年89。選手、監督として数々の伝説、逸話を残した「ミスタープロ野球」は、身近に接した者すべてにそれぞれの「長嶋茂雄像」を強く印象づけてもいる。日刊ゲンダイの連載で多くの球界OBが語ってきたその実像を再構成して緊急公開する。
今回は巨人で打撃コーチ、二軍監督などを歴任しなどを内田順三氏による「ユニホーム着続け50年 巨人広島名伯楽の作る育てる生かす」(第33回=2020年)を再公開。本文中の年齢・肩書きなどは当時のまま。
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私が広島の一軍打撃コーチになったばかりの1984年。当時、巨人のユニホームを脱ぎ、浪人時代だった長嶋茂雄さんが、一日コーチとしてカープの日南キャンプへやってきた。広島の古葉竹識監督との関係で実現したものだった。
カシミヤのセーターを着こなした長嶋さんは、1番に定着していた高橋慶彦や外野のレギュラーを確保したばかりの長嶋清幸に直接指導。まずは慶彦のフリー打撃を数分間見て、こうアドバイスした。