オレが「記念品」にまったく頓着しないワケ…初ヒット、通算350号の記念球も誰かにあげた
中には、自宅にヒストリールームをつくる選手やOBの方もいるが、そういうものとは無縁。人にプレゼントできなかった記念品の数々は、自宅の倉庫の奥で眠っていて、どこにあるかさえ分からない。リビングにも、その手のものは何も飾っていない。俺の家に来たら、野球選手だったとは誰も思わないだろう。
だから、91年5月9日の大洋(現DeNA)戦で打ったプロ初本塁打(田辺学さんという左投手から場外弾)のボールも持っていないが、十何年ぶりかに一度だけ手元に戻ってきたことがあった。
いつだったか、中日時代に秋田で試合をやったときのことだった。試合前、「実は山﨑さんのプロ初本塁打のボールを持っている」と言う男性が訪ねてきたのだ。
「大学時代、横浜に試合を見に行っていて、それからずっと大事に持っていました。今日お返ししたいと思って来ました」
そう言って男性の差し出したボールは、真っ黒に光っていた。
何度も触れられた証しだった。
「そんなに大切にしてくれていたんですね。持っていてください」
俺はボールにサインを書き、男性に手渡した。
(つづく)