気温50度の灼熱キャンプなのに「寒い」…中村武志さんは「死ぬかもしれん」と言った
そんな厳しい練習や規則で憂鬱な一軍生活の気分を晴らしてくれたのは「追加報酬」だった。野球協約が定める一軍最低保証年俸は当時840万円で、俺の年俸は460万円(88年オフ更改の金額)。840万円と年俸額の差額(380万円)が登録日数分だけ加算される。俺の場合は1日約2万5000円だった。
試合がなくても試合に出なくても、一度登録された日から抹消されるまでカウントされる。その「日当」がシーズンオフにまとめて入金されるから、それがうれしくてね。
活躍して金を稼ぐというより、追加報酬がもらえたことがとにかくうれしかった。裏を返せば、当時の俺はまだそんなレベルの選手だったのだ。
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