プロ野球をやめて習志野にきたジャンボは「独身」と偽っていた
ジャンボが西鉄(現西武)を退団し、福岡から千葉の習志野カントリークラブに研修生としてやってきたとき、周囲には「独身」と語っていた。 その頃、習志野CCの支配人から「尾崎宛てに女性の字でよく手紙が届くんだ」と聞かされていた。妻と長女を福岡に残しての単身赴任だったと知ったのはずいぶん経ってからだ。
当時の月給は2万円と聞いた。研修生といえば、お客さんのバッグ運びやプレー後のクラブ拭き、キャディーの手伝い、練習場のボール拾い、コース管理業務など、仕事は多い。ラウンドやボールを打ったりできるのは早朝や午後に限られる。
ジャンボは違った。習志野CCの親会社である日東興業の松浦均社長は、元プロ野球選手を別格扱いにしていた。習志野CCに在籍していた勝俣大三郎プロの助言もあったのだろう。練習場の係ではあったが、雑務は「免除」されていた。
前にも触れたが、習志野のメンバーに頼まれた杉本英世に呼ばれてアジア下館CC(茨城)で「合宿」をしたり、習志野の系列コースだった埼玉のノーザンCC錦ケ原ゴルフ場に打ち込みに行けたのも、雑務なしの「別格」研修生だったからだ。


















