大谷翔平がベネズエラ戦後に“整列ブッチ” 過去最悪の結果で蘇る孤軍奮闘だったエ軍時代の悪夢
「勝てる要素の多いゲームだった」
けれども、今回の侍ジャパンはそうではなかった。飛び抜けた能力のある大谷だって、いつも打てるわけではない。ベネズエラ戦でも、突き放すチャンスだった3点リードの四回1死一、二塁の好機で空振り三振。続く佐藤輝も空振り三振に倒れた。23年の前回大会決勝では大谷が最後にトラウト(34=エンゼルス)を空振り三振に打ち取って胴上げ投手になったが、3点を追う九回2死走者なしでは遊飛に倒れて最後の打者に。孤軍奮闘では勝てないことを痛感した。
エンゼルス時代の21年は46本塁打、100打点、投手として9勝2敗。メジャーで初めて投打とも規定に達した。翌22年は投手として15勝9敗とサイ・ヤング賞投票で4位に。打っても34本塁打、95打点。投打でひとり気を吐きながら、チームは一度もプレーオフに進めなかった。
今大会もまた、打って結果を出しながら、しかし、チームは準々決勝敗退という過去最悪の結果に終わった。
試合後、侍ジャパンの首脳陣と選手はグラウンドで整列、球場のファンに挨拶をしたものの、そこに大谷の姿はなかった。
「本当に悔しいのひと言。惜しいゲーム、勝てる要素の多いゲームだったと思うので。全部が押し切られたというわけではないですし、ところどころで勝てる要素はあった」
こう話す大谷の脳裏には、投打にフル回転してそれなりの成績を残しても10月まで戦えなかったエンゼルス時代の悪夢が蘇ったに違いない。


















