クレーム殺到の“親バカ起用” 球団社長を唖然とさせた野村監督の「言い分」に俺までズッコケた
楽天では2005年の球団創設時から、礒部公一が初代選手会長とキャプテンを務めていた。06年に就任した野村克也監督は、開幕から打撃不振に陥ったチームリーダーをとても気遣っていた。
「たった1打席であいつのプライドを傷つけたくない。最後にチームが笑って終われるために、あいつは大きな戦力や」
そう言って、春先のある試合では、好機の場面であえて礒部に代打を出さなかった。その後、代打を送ることがあっても、「悪かったなあ」とひと声かけることを忘れなかった。
落ち目になったベテランは腫れ物扱いを受けかねない。でも野村監督は、そんなベテランでも邪魔者扱いはしなかった。むしろ、長く現役を続けていることやタイトルを取ったことをすごく褒めてくれた。高卒からプロ入りして45歳までプレーし、感じたことなのだろう。ちなみに、俺も現役は27年やった。
俺の場合、最初は「天才やな」と言われた。
「感性と感覚だけでこんなに結果を残してきたんは、おまえと長嶋(茂雄)くらいや」
あの長嶋さんと並べてもらえるなんて……と舞い上がってニヤッとしたら「褒めてるわけじゃないぞ、バカタレ。考えて野球やれ」とダメ出しされたけど、自分の野球観をガラリと変えてくれた言葉だった。
「人材育成の基本は情」
野村語録の中にはこんな言葉がある。
俺としては、「野村克也という日本のスーパースターから気遣われている」という感慨もあった。配球の読みや技術的なこともたくさん学んだが、一人間として扱ってくれたことがうれしかった。
「人情派」の野村監督は家族愛にもあふれていた。息子である克則(現・阪神二軍バッテリーコーチ)は05年、俺と同じく創設メンバーとして楽天に移籍。野村監督は息子とベンチに入ることに「やりづらいわあ」とボヤきつつ、正捕手だった藤井彰人に次ぐ2番手捕手としてマスクをかぶっていた。
しかし、正直、肩は強くないし、何より打てない。2番手捕手でありながら結果が伴わず、スタンドからのヤジは酷くなる一方だった。克則自身、偉大な父を持つがゆえ、プロ入りしたときから“親の七光”と言われてきたんだろうけど、そんな声は楽天でもすごかった。
「克則を試合で使うな」
球団にはそんなクレームが後を絶たなかったという。途方に暮れた島田亨球団社長が「監督、申し訳ないのですが、克則を使わないでもらえませんか」と頼んだことがあった。
しかし野村監督は、強い口調でこう言い返した。
「おまえ、
この記事は有料会員限定です。
日刊ゲンダイDIGITALに有料会員登録すると続きをお読みいただけます。
(残り176文字/全文1,251文字)
【ログインしていただくと記事中の広告が非表示になります】
今なら!メルマガ会員(無料)に登録すると有料会員限定記事が3本お読みいただけます。


















