福原忍を開花させた阪神スカウトの囁き…「いい球なのに打たれる」のは原因があった
元東洋大監督の故・高橋昭雄氏による「見て聞いて育てて42年」(第19回=2013年)を再公開
日刊ゲンダイではこれまで、多くの球界OB、関係者による回顧録や交遊録を連載してきた。
当事者として直接接してきたからこそ語れる、あの大物選手、有名選手の知られざる素顔や人となり。当時の空気感や人間関係が、ありありと浮かび上がる。今回は阪神で活躍した福原忍氏について綴られた、元東洋大監督の故・高橋昭雄氏による「見て聞いて育てて42年」(第19回=2013年)を再公開。年齢、肩書などは当時のまま。
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その高校生を初めて見たとき、少しだけ不安になった。のちに阪神に入団した福原忍のことだ。
福原は広陵高3年の8月、東洋大のセレクションにやってきた。
バネはあるし、体の使い方が柔らかい。だが、右ひじに太さ5~6ミリ程度の大きな手術痕があった。聞けば2年生のときに広島大で手術を受けたという。本人は「3年夏の大会は投げたし、もう大丈夫です」と言っていたものの、高校時代にメスを入れているのは気になった。おまけに顔が土気色をしていた。内臓を患っていれば厄介だ。
しかし、わたしの心配は、杞憂だった。翌年4月、ご両親が学校に来たときに、「体はまったく心配ありません」と話していたし、ストレートの球速は143~144キロに達した。潜在能力が高いのは間違いなかったが、試合で投げるとなぜか打たれた。
3年秋、日大との入れ替え戦に敗れて2部落ち。翌98年春も2部4位に終わり、秋のリーグ戦を迎えようとしていた9月上旬のことだ。
4年生の福原にとっては、泣いても笑っても最後のシーズン。いいボールを持っているのに、結果が伴わない。次男坊だけに優しい性格が災いしているのか、それとも他に原因があるのか、わたしもアタマを抱えていた矢先だった。
阪神のスカウトが「福原を見たいのですが」と言ってきた。
その日は朝から土砂降りで、グラウンドもブルペンも使えなかった。福原には室内練習場で投球練習をするよう指示、変化球も交えて投げ込みを始めた。
「バッシーン!」「バッシーン!」
室内練習場は反響音が凄い。福原の速球が物凄い音を立てて、捕手のミットを鳴らしていた。阪神のスカウトには、ただでさえ速い福原のストレートが、より速く見えたはずだ。
そのときだ。スカウトのひとりが、独り言のようにポツンと呟いた。
「福原にはクセがあるんじゃないかなぁ……」
そして、こう続けた。
「ストレートを投げるときは、左手のグラブから出ている人さし指が突っ張り、変化球のときは緩むような気がする」
福原の左手を凝視すると、スカウトの指摘通りだった。わたしはすぐに福原のグラブの人さし指の部分にカバーを付けるように指示した。
他のチームが福原のクセに気付いていたのかどうかは分からない。しかし、福原は迎えた秋のリーグ戦で開花した。福原の活躍もあって2部で優勝すると、立正大との入れ替え戦にも勝って1部に復帰。福原はその年のドラフト3位で阪神に入団した。
▽たかはし・あきお 1948年6月8日生まれ。大宮工(埼玉)、東洋大、日産自動車を経て、72年、23歳で東洋大野球部監督に就任。今年、監督42年目を迎えた。東都リーグ通算509勝は歴代1位。全日本選手権4回、明治神宮大会2回優勝。プロに進んだ教え子は30人を超える。2022年9月7日、敗血症により死去。74歳だった。



















