著者のコラム一覧
三島邦弘

ミシマ社代表。1975年、京都生まれ。2006年10月単身、ミシマ社設立。「原点回帰」を掲げ、一冊入魂の出版活動を京都と自由が丘の2拠点で展開。昨年10月に初の市販雑誌「ちゃぶ台」を刊行。現在の住まいは京都。

「後ろ歩きにすすむ旅」石井ゆかり著

公開日: 更新日:

 僕たちが旅人だったころ、沢木耕太郎「深夜特急」に影響を受けていない者など皆無だった。あれから20年、それを「読んだ」という学生に会うことが皆無になった。旅物を読まなくなった、という以前に、そもそも旅に出なくなったようだ。

 何も若者にかぎらない。僕自身、旅に出なくなって久しくなっていた。出張や旅行ではない、一人旅に……。

 そんな元旅人にとって、「後ろ歩きにすすむ旅」というタイトルは、甘い誘惑以外の何物でもない。体力的にも年齢的にも冒険のような旅をするには抵抗がある。けれど、後ろ歩きならできるかも。正直、そう思ってしまった。

 本書は、「12星座シリーズ」などで有名な著者による初の旅エッセーである。前編「海外」、後編「国内」の構成で、主にベトナム、フィリピン、オーストラリア、そして著者が現在住む町、京都のことがつづられている。

 京都については、同じ頃に引っ越して、この地に住まう身として、まるでわが心中を代弁してくれている錯覚さえおぼえた。「『京都に引っ越すことになりました』と言うとほとんど例外なく『いいですねえ』と言われる。なんでやねん」。もうこの一例で十分だろう。

 元旅人の心をもっともくすぐったのは、海外での異文化交流である。と、こう書けば陳腐に聞こえるかもしれないが、著者の視線はそれほどに忘れていた感覚をよみがえらせてくれる。たとえば、ベトナムの街角で見かけるギャラリー。そこでは絵師たちがクリムトなどの絵を模写している。その絵が飾られ、けっこう売れる。「日本だったら絶対に買い手がつかないだろう」という著者の感想はもっともで、こうした日常のちょっとした違いに「異国」は立ち現れる。逆に、「どこに行ってもかわらないもの」として、猫をあげる。「猫はちょっと私の指をなめた。そのとたん、外国で右も左もわからず、ただ自分の臆病と闘っていた緊張感がふっと抜け」た。あるいは、同じカフェに連日通う。こうした経験、確かに身に覚えがある!

 名所やおいしいお店巡りが「前歩きの旅」だとすれば、「後ろ歩き」は、忘れかけていた自分自身、大切にしていたものとの再会をもたらす。旅先にかぎらず、日常でもときどき実践するとしよう。(イースト・プレス 1200円+税)




【連載】京都発 ミシマの「本よみ手帖」

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    「おまえになんか、値がつかないよ」編成本部長の捨て台詞でFA宣言を決意した

  2. 2

    福山雅治&稲葉浩志の“新ラブソング”がクリスマス定番曲に殴り込み! 名曲「クリスマス・イブ」などに迫るか

  3. 3

    年末年始はウッチャンナンチャンのかつての人気番組が放送…“復活特番”はどんなタイミングで決まるの?

  4. 4

    「えげつないことも平気で…」“悪の帝国”ドジャースの驚愕すべき強さの秘密

  5. 5

    やす子の毒舌芸またもや炎上のナゼ…「だからデビューできない」執拗な“イジり”に猪狩蒼弥のファン激怒

  1. 6

    羽鳥慎一アナが「好きな男性アナランキング2025」首位陥落で3位に…1強時代からピークアウトの業界評

  2. 7

    【原田真二と秋元康】が10歳上の沢田研二に提供した『ノンポリシー』のこと

  3. 8

    査定担当から浴びせられた辛辣な低評価の数々…球団はオレを必要としているのかと疑念を抱くようになった

  4. 9

    渡部建「多目的トイレ不倫」謝罪会見から5年でも続く「許してもらえないキャラ」…脱皮のタイミングは佐々木希が握る

  5. 10

    ドジャース佐々木朗希の心の瑕疵…大谷翔平が警鐘「安全に、安全にいってたら伸びるものも伸びない」