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「沖縄 1935」週刊朝日編集部編

 戦前の沖縄の人々の暮らしぶりを撮影した写真集。

 太平洋戦争の末期、「ありったけの地獄を集めた」といわれ、焦土と化した沖縄には、戦前に撮影された写真がほとんど残っていない。

 本書は、新聞社のカメラマンが1935(昭和10)年に取材、撮影した貴重な映像だ。長年、新聞社の倉庫に眠っていたネガ277コマが偶然見つかり、デジタル化したものだという。

 ページを開くと目に飛び込んでくるのは、釣ったばかりの大きな魚をつるした櫂を担ぐふんどし姿の少年漁師だ(写真①)。当時、漁に携わっていた子供の中には、10歳前後から徴兵検査がある20歳まで住み込みで働く年季奉公人が多かったという。

 現在の那覇市東町にあった「那覇ウフマチ(大市)」と呼ばれた市場の写真では、着物を着た大勢の女性たちが路上でざるに載せた野菜などを売っている。

 また、糸満市の市場の写真には、大量の芋が盛られたバーキ(竹かご)を2段重ねにして頭にのせたり、天びん棒を担ぐ行商と思われる女性たちが写っている。

 背景の赤瓦の家並みには、かやぶき屋根の家も交じり、そのふき替え作業の様子などを撮影した写真もある。

 また庶民が日用品を買い求めに来る市場の風景とは異なり、沖縄市内にあった雑貨店の店内には豊富な商品が所狭しと並べられている。店には「ボンタンアメ」の広告が貼られ、キューピー人形などがディスプレーされており、当時、何店舗かあった百貨店内の可能性もあるという。

 漁をする糸満の漁師たち、古謝の共同耕作地でサトウキビの手入れをする耕作隊の青年団、那覇と糸満の間9キロをつないでいた軌道馬車(写真②)、布をかぶって墓参りに向かう女性、洞窟内での特産品のパナマ帽作り(写真③=湿度のある洞窟内の方が素材が加工しやすかったそうだ)など。沖縄各地を巡り、日常の暮らしや風俗を点描していく。

 久高島では、当時まだ風葬が行われており(1965年ごろまで)、風葬地の西海岸の崖の陰には納められた木棺が並ぶ。遺族は、12年に1度、とら年の決められた日に一斉に棺を開け、骨を洗い、家形の「厨子甕」などの骨壺に納めるそうだ。

 中には「やらせ」と思われる写真もある。当時の写真説明に「久高島の墓所で手を合わせる男性」とあるが、島には親族ぐるみ以外で墓参りをする習俗はなく、本土とは異なる墓所を、合掌する姿と合わせることですぐに分かるようにした「工夫」のようだという。

 今回、発見された写真の一枚一枚について、撮影地の古老や、地域の事情に詳しい専門家らに取材。サトウキビ畑で無邪気な笑顔を見せていた7歳の少年・儀間政夫さんのその後の人生など、取材の成果も写真に併せて紹介される。さらにこれらの写真が使われた当時の新聞の連載記事の一部も紹介。

 戦場となることもまだ知らない、基地もない、82年前のありのままの沖縄がここにある。

(朝日新聞出版 1800円+税)

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