「昭和二年生まれの流儀」城山三郎、吉村昭 著/中央公論新社(選者:佐高信)
昭和は「古き良き時代」だったのか
「昭和二年生まれの流儀」城山三郎、吉村 昭 著/中央公論新社
「古き良き東京なんてありませんよ」──。
ある雑誌で編集長に「古き良き東京についてお話しください」と頼まれた吉村昭は、即座にこう返したという。そして続けた。
「人間って過去を美化しますからね。あの頃は戦争があって、医学も今ほど進んでなくて。当時の幼児の死亡率が二五パーセントなんですよ。みんな疫痢とか赤痢で、三つか四つで死んでしまう。抗生物質がないんだもの。母親はみんな嘆いたものですよ。そういうことを考えると、何が良き時代だと、ばか言うんじゃない、と思う」
昭和元年は1週間もないから、実質的に2年が元年である。だから、2年生まれの城山と吉村はまるまる昭和を生きた。
「城山さんと僕が生まれてから終戦を迎えるまでの十八年間はまさに戦争の連続だったわけでしょう。満州事変、上海事変と戦争の熱気がもう日常的だったから、僕らには違和感というものがなかったんですね」
こう述懐する吉村は城山に、太平洋戦争を指して問いかける。
「あの戦争、負けてよかったですね。負けたのがいちばんの幸せ。そう思いませんか」
それに対して、17歳で志願して海軍に入った城山は「負けてよかったとは言いたくないけどね」と笑いながら、こう断定する。
「あのまま行ったら、大変だったろうね」
その後の吉村と城山のヤリトリを引く。
「第一、軍人が威張ってどうしようもなかったでしょう」
「軍人が威張る、警官も威張る、町の警防団長も威張る」
「鉄道員まで威張る」
「愛国婦人会の会長も威張る。在郷軍人会も威張る」
私がこの対話をTBS系の「サンデーモーニング」で紹介したら、「負けてよかった」とは何事かと右筋から批判が殺到したらしいが、戦時中の暗い空気を忘れて防衛論議をしてはならないと私は思う。
城山は娘に「戦争の真の勝者は戦わなかった者だ」と繰り返し言っていたというが、戦争に勝者はいないと考えなければならない。
2007年5月21日に行われた城山三郎の「お別れ会」で中曽根康弘や小泉純一郎を前に私は「城山さんを語る時、勲章拒否と現憲法擁護の2点だけははずしてほしくない」と訴えた。「戦争で得たものは憲法だけだ」が城山の口癖だったからである。 ★★半