【髙嶋政宏インタビュー】デビューから10年後に父・忠夫と飲んだ思い出の一杯
デビューして10年くらい経った頃ですかね。家に友達を呼んで飲んでたんですよ。そこに父親が参加して。みんな帰った後に「おい、ちょっとこれ飲もう!」って声をかけられ、戸棚から高級そうなガラス栓の四角いボトルを取り出して「サントリーの佐治さんからもらったんだ」と言うんです。ボトルを見たら、貼り付けてある紙に手書きのアルファベットで「Keizo Saji」と書いてあった。「もったいないよ」って断ろうとしたら、「こういう時に飲むために取っておいたんじゃないか」って。ストレートで飲みましたが、相当とがっていて硬い味だったのを覚えています。特別な会話もなく、一緒にテレビを見ながらうまい酒を飲んだだけですが。とにかくうま過ぎて、あっという間に空けちゃいました。父親とサシで飲むのは特別でしたからね。いい思い出です。
大学時代はクラブチームでアメフトをやっていて、合宿になると宿の食堂にビールが並び、その横には必ずレッドやホワイトのタンクが置いてあった。ストレートで飲んでいるとだんだん麻痺してくるんですよ。最後は残った酒を全て混ぜて鍋に入れ、部員で回し飲みですよ。ノリでしたね。昔はビールをチェイサーにしてストレートで飲んだり、ストレートのショットをビールに沈めて「サブマリン」とか言って。バーの先輩方から教えてもらい、見よう見まねでやってましたね。
■宍戸錠さんとバー通い
NHKの時代劇の連ドラで宍戸錠さんと一緒になった時に、「裕次郎と通っていたバーに行こう」と誘われ、青山1丁目近くのバーに連れて行ってもらいました。「裕次郎はここに来たらホワイトホースなんだよね」って思い出話を聞きながら、よくホワイトホースをごちそうになりました。時代はバブルで、まだスモーキーなウイスキーははやってなくて、マッカラン、バランタイン、グレンモーレンジィ、グレンフィディックとか、洒落た人は皆そういうのを飲んでいたのに、「錠さんは誰も手を出さないようなホワイトホースをすすめるんだ」と思いながら飲んだら、これが結構良かったんです。
2008年ごろだったと思いますが、世の中が角ハイボールブームになり、「プリン体悪」みたいな風潮もあってハイボールを飲むようになりました。京都の東映太秦撮影所で仕事があると、毎晩、プロデューサーから飲みに誘われるんです。断ったら翌日から現場でちょっとやばい状況になるから、店に顔を出すと、必ずマッカランが置いてある。バーのママが「お兄ちゃんはマッカランぐらい飲まないと格好がつかない、恥ずかしいわよ」と言うので「そーかなあ」と思いながら、「マッカランでいいよね」と言われて断ることもできず……。強制的にマッカランのハイボールを飲んでいました。当時は山崎も響もマッカランほど高くなくて、「日本のウイスキーでいい」って言っているのに、京都のバーではマッカランのハイボールにしないと怒られたんですよ。
数年前、石原裕次郎さんと三船敏郎さんが出演した映画「黒部の太陽」を見ていたら、2人が大事な話をする時に、サントリーオールドをキャップで酌み交わすシーンがあって、すごく印象に残っています。実力者2人が映画の中で飲んでいるぐらいだから、あの時代、オールドがいかにすごいお酒だったか。当時、誰もがオールドを「だるま」って言って、「今日はだるまが飲める」みたいな会話をしているのを思い出しました。それからバーでもオールドをキープしています。


















