私は標準治療を選びました…梅宮アンナさん乳がんとの闘いを語る
梅宮アンナさん(モデル/54歳)=乳がん
私は、がんそのものを俯瞰で見ているのかもしれません。父は6回もがんを経験しましたし、身内にも知人にも多かったので、がんと分かっても「自分の番が来たな」と、わりと冷静でした。
異変に気付いたのは、2024年5月下旬でした。シャワーを浴びて鏡を見たら、右胸が縮んでいたのです。痛みはありませんでしたが、2カップくらい小さくなったくらい明らかな違いでした。
「更年期障害かな」と楽観的な私に、アメリカにいる娘が電話で「病院へ行った方がいい」と言ってくれて、毎年検査を受けている病院でマンモグラフィーとエコーの予約をして、後日、血液検査を含めた検査を受けました。
胸に強烈な痛みを感じたのはそれから間もなくのことです。不安になって知人の紹介で某クリニックの乳房専用のMRI検査を受けたら、「がんではなく、嚢胞です」とすぐに結果が届きました。もし、この結果を信じていたらどうなっていたかと考えると、恐ろしい限りです。
でも、私は安心どころか不安が募りました。市販の鎮痛剤を飲んでも一向に消えないこの胸の痛みは何なのか、疑問が深まったからです。「がんかもしれない」と思いました。
マンモグラフィーとエコーの結果を聞いたのは、その1週間後の6月13日でした。「右乳房ステージ3Aのがん、右腋窩(腋の下)リンパ節転移あり」の状態でした。さらに「乳がんの中でも希少がんにあたる浸潤性小葉がん」と告げられました。付き添ってくれた母の顔を見ることができず、ひとりで来ればよかったと後悔しました。
このがんはしこりとして触れにくい、乳房全体に浸潤するタイプのがん。先生から「治療はフルコースになります」と聞きました。まず、2週間に1回の抗がん剤投与でがんの進行を弱めて、進行が遅くなったところで右乳房の摘出手術、さらに放射線治療があり、その後10年にわたってホルモン治療を続けるのです。
片胸を失うことに悲しみは何ひとつありませんでした。もう51歳でしたし、結婚も出産も経験していたので、むしろがんを早く体から離したかったくらいです。
あらゆる副作用を覚悟しました。唯一、受け入れ難かったのは「髪の毛がない梅宮アンナ」です。でも、避けられないことだったので急きょウィッグを買いました。納得できるウィッグがなかったことで、患者に寄り添った、より自然で安価なウィッグ作りに尽力するようになりました。


















