俳優の沢井小次郎さんは「慢性腎不全」で3回目の臨死体験
これまでの人生で3回ほど死にかけて臨死体験をしています。
最初は10代で、芸能界デビューする前の事故。2回目は30代後半でC型肝炎の治療中でした。最も新しいのは2021年で腎不全による呼吸困難。そのたびに救われて、多くのことを学んで、今の自分がいます。
10代の事故では走馬灯を見ました。体が自由になって自分を見下ろす体験も。でも「死にたくない」と思った途端に自由を奪われ、苦痛に襲われました。デビューしたのはその約2年後です。
C型肝炎を発症してぶっ倒れたときは、自作映画「Running Fish」の脚本をハリウッドに持ち込んで、メジャースタジオで作れる作品の1本に選ばれた頃でした。日本人としてはすごいことで、そのプレッシャーは半端なかった。
急に倒れて病院に担ぎ込まれ、C型肝炎が発覚しました。そこでの治療がインターフェロン注射。今はもっといい薬があるようですが、当時のインターフェロンは副作用がひどくて、高熱は出る、毛は抜ける、痩せる上に情緒不安定を引き起こし、一時心肺停止となり、また臨死体験したわけです。
その後、治療を続ける中で、なんと車上窃盗に遭い、ハリウッドでプレゼンした作品が盗難に遭ってしまいました。薬で正常な判断ができなかった自分は、首を吊ろうと思い詰めました。そのとき、一本の電話に救われました。「小次郎、元気か? 映画はどうした?」と言われ、ハッと我に返ったのです。私が描いた絵を認めてくれたアーティストの村井こうじさんからの電話でした。
「みんなの応援のおかげでここまで来たのに自分で命を絶つなんて最低だ」と思うと同時に、映画「Running Fish」をハリウッドのメジャースタジオで作って、日本の映画界を変えたい思いが「絶対やり切るんだ」という確信に変わりました。
受けるのが嫌だったインターフェロンを再び受け始めると、やがてウイルスがきれいに消えました。そのとき支えてくれたのが今の嫁ハンです。
正直、自分は結婚に向かないと思っていました。でも地に足を着けなきゃいけないと思ったのです。バブル期で金回りが良かったときもありました。アイドルをやってチヤホヤもされました。でも、そのたびに人が寄ってきては去っていく経験をして、有名だとか、お金のあるなしによって変わらない自分をつくることが本当の幸せなのだと気づいたのです。


















