伊藤博文らの「皇室典範」をめぐる議論では、女性天皇や女系天皇を認めることが検討されていた
皇室典範は、天皇家の家憲である以上、その内容は天皇家が決めるものであり、当時の帝国議会で審議するものではなかった。帝国議会がそこに介入することを防ぐために、家憲という体裁がとられたとも言える。
ただ、内容を実際に定めたのは、明治天皇や皇族というわけではない。当時の首相である伊藤博文をはじめ、大日本帝国憲法を制定する作業に携わった政治家が議論し、その内容を決めたのである。
興味深いのは、現在の「愛子天皇待望論」ともかかわることだが、10年にわたった皇室典範をめぐる議論のなかで、将来における皇統の断絶が起こらないように、現実的な手段として女性天皇や女系天皇を認めることが検討されていたことである。もし、そうした方向で皇室典範が定められていたとしたら、現在の改正論議に大きな影響を与えたに違いない。
戦後、大日本帝国憲法を改正する形で日本国憲法が制定され、それにあわせて皇室典範も天皇家の家憲ではなく、国会で改正が可能な一般の法律になった。
その際に、皇室法などへ名称を変更することも検討されたようだが、皇室にかかわることであるがゆえに名称に重みが必要と判断され、典範のままとなった。GHQも、漢字の名称にはこだわらなかった。


















