大手ゼネコンで唯一の非同族会社である大成建設に近い政治家は誰か
もう知っている人も少なくなったのかもしれないが、ある建設会社で創業家の御曹司がホステスと問題を起こし、彼女に会社の前に何日か立たれたことがあった。熊谷組とか大林組とか、鹿島を含めて建設会社には組と名乗っていたところが多い。いずれも創業家の力が強く、ジュニアが社長になる。それに対して大成建設は大手のゼネコンの中では唯一の非同族会社であり、サラリーマンが社長になれる。
大倉財閥の創業者である大倉喜八郎の息子、喜七郎がGHQの財閥解体の意向を先取りするようにして大倉家と絶縁し、大倉土木から大成建設に改名して再スタートした。
いまから30年ほど前に当時の社長、里見泰男にインタビューしたら、戦後の新しい歩みについて、こう語っていた。
「戦争に敗けて、財閥が全部追放された形になり、キャップのいない会社になってしまった。それで、何とかしなければと社員持株制を発足させ、役員も選挙で選ぶというようなことをしたんですね。よく、これまで社員だけで守ってきたと思います。とにかく、大倉土木の時には社員は営業なんかする必要がなかった。大倉さんの顔でどんどん仕事がきたからです。ところが、大成建設になって、営業も何もみんな自分たちでやらなければいけない。それで逆に、いろいろ鍛錬されたんだと思います」