ドキュサイン 竹内賢佑社長(1)小4の時、親の転勤で…シドニーで暮らし人生が変わる
「このときも運が良かった。米国の大学は入るのは決して難しくはないんです。ある程度、英語ができればよく、入試では、高校時代、学業より何をしてきたかを重視する。成績はイマイチでしたが、高校時代、学級委員や体育祭の委員などをやっていたことを評価してもらいました」
ただし、NCAAの選手になる夢を実現するのは難しかった。
「なんとか練習生にはなれたのですが、体格差の壁を越えることはできませんでした」
NCAAの選手になる夢は挫折し、その後はしばらく酒浸りだった。それでもウエートトレーニングを始めたら、ベンチプレスの競技会で優勝したという。
「米国というのは、ひとつでも成功していると認めてもらえる。これが大きな自信につながりました」
インタビュー中、竹内の口から何度か出てきたのが「運が良かった」という単語だ。「自分は運が良い」というのは、多くの名経営者が口にすることだ。 =つづく
(経済ジャーナリスト・松崎隆司)