関通 達城久裕社長(1)儲かるんじゃないか…22歳の時、軽車両の運送業を始めた
次に就職したのが産業廃棄物の収集運搬業。ゴミをスコップでダンプに積む仕事だった。仕事は激務だった。
「真夏に作業をしていたら、熱中症で倒れてしまった。『この仕事は続けられない』と感じ退職をしました」
その後、物流の会社に勤め、そこでひらめいたのが小口物流だった。
「当時、物流は2トントラックが主流で、軽車両というのは赤帽ぐらいしかなく、小口の物流をやったら儲かるんじゃないかと思った。そこで社長に提案したのですが、社長は二の足を踏み、やろうとしない。だったら思い切って自分でやってみようと考えたのです」
その後、自ら軽車両の運搬事業を始めた。達城22歳のときだった。 (つづく)
(経済ジャーナリスト・松崎隆司)
■関連記事
-
億り人が教える「超カンタン」お金の話 (5)老後不安は尽きず…65歳以上無職夫婦世帯は「毎月3万4000円の赤字」という現実
-
語り部の経営者たち 東京コンサルティンググループ(公認会計士) 久野康成会長(4)成果主義を否定「個人プレイになって周囲が協力しなくなる」
-
語り部の経営者たち 東京コンサルティンググループ(公認会計士) 久野康成会長(3)26カ国に拠点 日本企業の海外進出を支援
-
語り部の経営者たち 東京コンサルティンググループ(公認会計士) 久野康成会長(2)経理スタッフの派遣にビジネス転換 年商6000万円から18億円に
-
タワマンでザワつく街 東京・大井町、OIMACHI TRACKSと対照的な東小路飲食店街、商店街理事長が直面する2つの問題




















