著者のコラム一覧
岡邦行ルポライター

1949年、福島県南相馬市生まれ。ルポライター。第3回報知ドキュメント大賞受賞。著書に「伊勢湾台風―水害前線の村」など。3・11後は出身地・南相馬中心に原発禍の実態を取材し続けている。近著に「南相馬少年野球団」「大島鎌吉の東京オリンピック」

日本人初8m超えのため 山田宏臣さんは“8”にこだわリ続けた

公開日: 更新日:

1964年東京五輪・1968年メキシコ五輪・走り幅跳び代表 山田宏臣さん(上)

 山田宏臣の死は、まさしく企業戦士の末路である“戦死”だった――。

 1984年ロスオリンピック開催中だ。母・展子が私に発した言葉は重く、叫ぶようにこう言った。

「残酷物語ですよ。若い息子を死に追いやったのは、オリンピックです。ほかの人の何十倍も体をいじめて、『ぼくは40歳くらいで死ぬんだ』と言っていました。オリンピックなんか見ません!」

 その3年前の81年7月、山田は韓国の慶州東急ホテルの総支配人として栄転したが、3カ月後の10月21日、脳血栓で倒れ、39歳で客死したのだ。

「先生、2年もすれば韓国語がペラペラになって帰ってきます。それまでは死なないでくださいよ」

 韓国に飛び立つ前に山田は、京都市在住の67歳になるコーチの朝隈善郎(36年ベルリン五輪走り高跳び6位)を訪ね、そう言って笑った。だが、これが師匠と愛弟子の最後の別れとなってしまう。

 オリンピック強化選手の山田が東急電鉄に入社したのは、東京オリンピックが開催される64年春だが、人事部に配属されても仕事はなかった。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    高画質は必要ない? 民放各社が撤退検討と報じられた「BS4K」はなぜ失敗したのですか?

  2. 2

    気温50度の灼熱キャンプなのに「寒い」…中村武志さんは「死ぬかもしれん」と言った 

  3. 3

    広陵暴力問題の闇…名門大学の推薦取り消し相次ぎ、中井監督の母校・大商大が「落ち穂拾い」

  4. 4

    巨人阿部監督はたった1年で崖っぷち…阪神と藤川監督にクビを飛ばされる3人の監督

  5. 5

    (4)指揮官が密かに温める虎戦士「クビ切りリスト」…井上広大ら中堅どころ3人、ベテラン2人が対象か

  1. 6

    U18日本代表がパナマ撃破で決勝進出!やっぱり横浜高はスゴかった

  2. 7

    日本ハム・レイエスはどれだけ打っても「メジャー復帰絶望」のワケ

  3. 8

    志村けんさん急逝から5年で豪邸やロールス・ロイスを次々処分も…フジテレビ問題でも際立つ偉大さ

  4. 9

    佐々木朗希いったい何様? ロッテ球団スタッフ3人引き抜きメジャー帯同の波紋

  5. 10

    (2)事実上の「全権監督」として年上コーチを捻じ伏せた…セVでも今オフコーチ陣の首筋は寒い