著者のコラム一覧
春日良一五輪アナリスト

長野県出身。上智大学哲学科卒。1978年に日本体育協会に入る。89年に新生JOCに移り、IOC渉外担当に。90年長野五輪招致委員会に出向、招致活動に関わる。95年にJOCを退職。スポーツコンサルティング会社を設立し、代表に。98年から五輪批評「スポーツ思考」(メルマガ)を主筆。https://genkina-atelier.com/sp/

【追悼】「選挙運動で聖火リレーを!」行動力あるアイデアマンだった猪木さんは、理論的で哲学的な人でもあった

公開日: 更新日:

 猪木さんが95年に北朝鮮の平壌で行ったプロレス大会「平和の祭典」の際には、日本側の競技団体に声をかけ日本スポーツ代表団を取りまとめるお手伝いをさせてもらった。

 常に真面目に真剣に世界平和を考えていた猪木さんに大いに共感したものだが、普段の猪木さんはダジャレが好きな気さくな方だった。頭の回転が速く、理詰めの人という印象もある。

 猪木さんが新日本プロレスから離れ、新たな団体を立ち上げた頃、私がプロデュースしていた総合格闘家タカ・クノウの面倒を見てもらったことがある。ある時、彼は相手に花を持たせるマッチメークに難色を示し、モメたことがあった。グラップリング(関節技主体のレスリング)世界チャンプのプライドがあった。

 夜中、六本木にあった猪木さん行きつけのスナックを2人で訪ねた。猪木さんを目の前に、彼自身から思いの丈をぶつけさせる作戦だった。私は、猪木さんに「バカヤロー!」の一言で片づけられると思っていた。しかし、猪木さんは「このオレだって負けたことがあるんだ」と優しく語りかけると、「勝ち負けだけが男の強さを決めるものではない」「勝負の過程にその人間の強さが表れるんだ」などと熱っぽく、しかし、理論的に語り出したのだ。その懐の深さに世界チャンプも納得せざるを得なかった。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    突然告げられた強制米留学、現地では毎日ドミニカ人全員に飯を奢り続け、球団の領収書を切った

  2. 2

    中居正広氏は法廷バトルか、泣き寝入りか…「どちらも地獄」の“袋小路生活”と今後

  3. 3

    全英V山下美夢有の「凱旋フィーバー」は望み薄…6年前の渋野日向子と決定的な違いとは?

  4. 4

    酷暑の大阪万博会場を歩いたら“地獄”だった! 午後の気温は40度近く、大屋根リングはガラガラ

  5. 5

    中山美穂「香典トラブル」で図らずも露呈した「妹・忍」をめぐる“芸能界のドンの圧力”

  1. 6

    長渕剛がイベント会社に破産申し立て…相次ぐ不運とトラブル相手の元女優アカウント削除で心配な近況

  2. 7

    東洋大姫路(兵庫)岡田監督「大学からは『3年で』と言われたけど、ナンボ何でも無理ですと」

  3. 8

    山下美夢有が「素人ゴルファー」の父親の教えでメジャータイトルを取れたワケ

  4. 9

    中村芝翫に別れたはずの愛人と元サヤ報道…夫が不倫真っ只中でも妻・三田寛子は家族写真投稿の複雑胸中

  5. 10

    ドジャース佐々木朗希“ゴリ押し”ローテ復帰が生む火種…弾き出される投手は堪ったもんじゃない