僕は宝塚シニアの3年時、全国大会初出場でPL学園からスカウトされた。後に阪神同期入団する二塁手は…
僕は中学時代は主戦投手。登板しない時は遊撃や三塁を守った。
グラブもバットも硬式用になったが、中学時代はまだ自分に何が合っているのか分からず、模索している状態だった。PL学園に入ると、グラウンドに出入りするスポーツメーカーの担当者が、ポジションごとのグラブやタイプによって合うバットがあることを教えてくれた。ここで初めて用具の大切さを知ることになる。
同期には後に阪神で再会することになる星山忠弘がいて、宝塚シニアではセカンド。島根・江の川(現・石見智翠館)に進学し、投手に転向した。日本文理大を経て僕と同じ1996年ドラフト4位で阪神に入団。同1位の僕とまた同期になった。
宝塚シニアは新しいチームだったが、能力の高い選手がいて、兵庫や関西地区の予選をあれよあれよと勝ち上がり、3年時にチームとして初めてシニアの全国大会に駒を進めることができた。
2回戦で東京の強豪・調布シニアにコールド負けを喫し、全国のレベルを知ったものの、これまで一人も入学実績のなかったPL学園のスカウトの目に留まったのだから、全国大会も出てみるものである。
阪神入団後、交流戦中に、パ・リーグの主力選手から突然、「僕、宝塚シニアの後輩なんです」と挨拶をされて驚いたことがあった。