長嶋茂雄と接点を持てた幸せ ふぐ刺しの“長嶋食い”を披露しながら語った家族のこと
引退の翌年、いきなり監督になった長嶋は、采配ミスを度々重ね、最下位に沈んだ。だが、どんな時でも逆境を晴れやかな顔で切り抜ける長嶋は、翌々年リーグ優勝を果たす。「クリーンベースボール」「失敗は成功のマザー」「メークドラマ」などの長嶋語を連発し、勘ピューターを駆使して、選手時代と同様の注目を集めたが、1980年に突然、読売新聞の務台光雄に解任されてしまった。
私が会ったのは彼の“浪人時代”だった。長嶋はテレビで見るのと同じように冗舌で、太陽のように強烈なオーラを放っていた。
プロゴルファーのジャンボ尾崎と対談をしてもらったことがあった。長嶋の意向で老舗のふぐ屋にした。そこで長嶋は、ふぐ刺しを箸に巻いて、大皿の半分ほどを一気に食べる「長嶋食い」を披露しながら、レーサーの次男がいて、一茂よりも運動神経がいいが視力が落ちてきているらしく、プロゴルファーにしたいと、父親としての悩みを話した。スポーツキャスターの三奈の上に姉がいることも。
長嶋が東京五輪のコンパニオンだった西村亜希子と結婚したときは大きな話題になった。だが、一茂は「家族そろって食事も旅行もしたことがない」と語ったことがあった。