長嶋茂雄と接点を持てた幸せ ふぐ刺しの“長嶋食い”を披露しながら語った家族のこと
長嶋の死は新聞1面トップで報じられ、テレビは特番を組んだ。だが、その中で「家庭人」長嶋を語る者は、私が知る限りいなかった。
2004年3月4日、長嶋は家で脳梗塞をおこし倒れた。家には誰もいなかった。運転手が発見したが、だいぶ時間が経っていたといわれた。別居していた妻はその3年後に亡くなった。享年64。
しかし、そこから長嶋の英雄伝説第2幕が始まる。麻痺が残り、過酷なリハビリに励む姿が何度もテレビで流れた。翌年には東京ドームで野球観戦できるまでに回復した。今年3月、大谷翔平とも会っている。野球少年たちの夢を実現したスーパースターが、今度はハンディを持つ多くの高齢者たちを励ます“希望の星”になったのである。
今年は昭和100年。そのうちの約80年は「長嶋茂雄の時代」だった。私たちは長嶋から感動と逆境から立ち上がる勇気をもらった。ありがとう。万感の思いを込めて、サヨウナラ。(文中敬称略)
(元木昌彦/「週刊現代」「フライデー」元編集長)