長嶋茂雄さんは気配りの人だった。“異動”が決まった僕にわざわざ電話「これからどーするの?」
長嶋監督の1年目。オールスター戦を前に、前半戦を振り返る、という企画です。これが当時は難事業でした。そのシーズン巨人は絶不調で、前半戦を振り返るというような番組はダメ。広報を通して、事前に各マスコミに「お断り」の方向が伝えられていたのです。
しかし、わがディレクターは果敢に挑戦。ぼくたちは、長嶋さんの球場入りに合わせて後楽園球場に通い続けました。長嶋さんはひとりで早い時間に球場入り。外野をランニングするのが日課でした。広報は不在で、ミスターを直撃することにしたのです。
ボクたちは、挨拶をしてランニングを見守るだけ、という姿勢を続けました。そのうち、長嶋さんの方から声をかけてくれた。そのとき、抱腹絶倒の一言が飛び出したのです。
▽まつした・けんじ:1953年、東京生まれ。75年、TBSにアナウンサーとして入社。プロ野球、ゴルフ、五輪などのスポーツ中継をはじめ、「ザ・ベストテン」などの音楽番組でもMCとして活躍した。
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当連載【プレイバック「私が見た長嶋茂雄」】の次回も、引き続き松下氏による「世界の松下です」の次話を再掲する。