今思えばあの時から…落合博満さんが“秘密主義”になったワケ
「おう、久しぶり」
通話ボタンを押し、受話器から返ってきた声に聞き覚えがない。
「あ!? 誰や?」
と、オレ。
「オレだよ、落合。落合だよ」
おちあい? そう言われてもピンとこなかったのは、現役時代も含めてほとんど接点がなかったからである。
1歳上の落合さんとは78年のドラフトで指名された同期入団。落合さんが東芝府中、オレが住友金属に所属していた社会人時代、ともに全日本に選ばれて海外遠征にも行ったことがあるとはいえ、プロ入りしてからは飯を食いに行ったり、酒を飲みに行ったり、そういう付き合いは一度もなかった。もちろん、電話がかかってきたのは、これが初めてだった。
「落合って、あの落合さん? 久しぶりです。なに、どうしたの?」
「横浜は今年で終わりだろ?」
「だったら、手伝え」
2年契約が切れるその年限りで横浜を退団するつもりでいたオレがそう伝えると、落合さんはこう言った。
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