今思えばあの時から…落合博満さんが“秘密主義”になったワケ
■秘密主義のきっかけ
落合さんには固く口止めされたが、翌日には系列スポーツ紙に記事が出ていた。マスコミと球団とはそういうものなのか。「中日はそういうとこだよ」と落合さんは言っていた。落合中日は秘密主義のように言われたが、情報がダダ漏れでは戦えない。今思えば、あのときから、落合さんはマスコミには余計なことは話さないと決めたのではないか。(この項つづく)
▽もり・しげかず 1954年11月18日生まれ。千葉県出身。駒大、住友金属を経て78年のドラフト1位で西武に入団。先発から抑えに転向し、現役通算9年で57勝(62敗)、82セーブを挙げた。88年に引退。翌89年から99年まで西武の投手コーチを務め、黄金時代を築く。00年からは日本ハム、02年から横浜で投手コーチを歴任。落合監督に請われ04年から中日でバッテリーチーフコーチ、10年にヘッドコーチに昇格した。落合監督とともに11年オフ、中日を退団。プロ入り後、ユニホームを脱ぐのは初めてだった。
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「大人気連載プレイバック」の次回も、引き続き森氏による「オレ流とともに去りぬ」を公開する。