本塁打王を取ったオフ、年を越したら得体の知れない不安と重圧に襲われた
得体の知れない不安は練習でしか解消できなかった。といっても、明確なテーマを設定し、内容のある練習とはいえなかった。気を紛らわすためにただ振っていただけ。ただ振って、ただ汗をかいて「俺はこれだけ練習したから結果も出るでしょ」というマインドにもっていくことが目的になっていた。
なまじ「本塁打王」という看板を背負ってしまったことで、周囲から注目され、方々から取材依頼も来る。それがプレッシャーに拍車をかけた。
しかも、肝心のバッティングの調子がなかなか上がらなかった。というか、実は前年9月ごろからずっと、悪いイメージを引きずっていた。
夏場までは打率、本塁打、打点とも好調。8月の終わりに1日だけ、「三冠王」になったこともあった。でも、9月はおそらく打率2割にも達していなかったと思う。
別にどこかが痛かったわけではない。ただ、9月6日の甲子園での阪神戦で、藪恵壹から頭に死球を受けたことが影響していたのかもしれない(藪は危険球退場)。
「どうやってもタイミングや打ち方が合わないなあ。おかしいなあ。違うなあ、違うなあ……」


















