「嫌だ。だって俺まだ伸びしろがあるもん」47歳の山本昌さんは同時引退の誘いを一蹴してそう言った
山本昌さんと距離が縮まったきっかけはラジコンだった。
俺はもともとラジコン好きで、寮の隣にあったスーパーマーケットの駐車場でよくリモコンを使って遊んでいた。
1988年2月に昌さんが米国へ野球留学に行く前だから、俺にとってはプロ2年目。スーパーの駐車場でふたり、ラジコンを走らせながら愚痴を言い合った。
「俺たち、そろそろクビだよな」
「もうアカンですね」
根っからのオタク気質なところは俺とは正反対だけど、二軍で苦労した者同士でウマが合った。昆虫や車が好きなところも同じだった。
昌さんのラジコン好きにスイッチが入ったのは、95年に左膝半月板損傷で手術し、リハビリ期間中にラジコンサーキットに立ち寄ってから。野球と同じく、突き詰めるとトコトンやるタイプで、ラジコンの腕前もいつの間にか抜かれていた。
96年からは2人でラジコンカーレース大会「山山杯」を立ち上げ、毎年オフの1月に開催した。世界ランクトップ10の選手を呼び、参加人数は200人規模。レースのクラスごとに懸賞や賞金を用意して、協賛品を提供してくれるスポンサーも集めた。2人で50万円くらいは身銭を切っていたかな。


















