「学生スポーツ」と「プロ養成の場」 甲子園に見る戦後のダブルスタンダード
旗照夫という歌手がいた。「あいつ」がヒットした。小学生時代を仙台で過ごし、戦後1年は首都に戻れず、仙台一中に在籍し野球部に。一・二高定期戦に出場したのが自慢だった。翌夏、仙台二中が4強入りしたのが中学選手権の最後で、GHQの指導により学制改革が行われ全国高校野球選手権へと移行する。
改革後の高校と戦前の中学は違うのだが大会は継続した。高等教育の枠が広がり、東京六大学だけがひのき舞台だった野球は高校(→大学)→実業団へ。長嶋茂雄の人気で“職業野球”が安心な地位を得ると少年野球も根付いた。巨人の天井が抜けていまや大リーグ……比類なき野球体系である。
この体系は外圧に由来している。戦前戦後の価値観を強引にまとめ、アマとプロのダブルスタンダードを秘めたバランスの世界だ。学生アスリートがいつの間にか、アマチュアかプロ予備軍か分からなくなり、過度な競争と未熟な肉体のアンバランスが顕著になった。
甲子園では延長戦の制限を発端にタイブレーク採用に踏み切り、今回からはDH制が導入された。いずれも健康への配慮で、6年前には1週間で500球という球数制限も設けられた。これはいかにも中途半端……健康を考慮するなら海外並みに1試合70球(豪州)または7イニング制にすればよさそうだが、そうすんなりはいかない。戦後80余年の修正は理屈で片付かない--。


















