「写真集『荻窪百点』が見た荻窪の今昔」荻窪今昔研究所編

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「写真集『荻窪百点』が見た荻窪の今昔」荻窪今昔研究所編

 荻窪のまちの情報誌「荻窪百点」(1965年創刊)は、2020年に休刊するまで半世紀以上にわたって、まちの話題や、再開発事業や整備計画など発展に関わる情報、そして歴史や史跡名所の紹介まで、「荻窪と名のつくすべての事柄」について伝え続けてきた。

 本書は、その取材で集められた膨大な写真の中から選りすぐりを紹介しながら、まちの歴史と文化を伝える写真集。

 まずは、まちの中心であるJR荻窪駅の変遷から。

 開業は1891(明治24)年(当時の運行会社は甲武鉄道)だが、本書に登場する一番古い写真は1918(大正7=写真①)年のもの。中央線の電化に伴い改良工事が行われ、駅舎が新築され、跨線橋が新設された。駅の周囲にはもちろん高い建物などはなく、殺風景で空が広い。

 その7年後、北口の区画整理直前の青梅街道の面影を伝える写真は、軒先の上に看板を掲げた昔ながらの商店が並び、その前で筒袖の着物に制帽をかぶった自転車の子どもたちが神社の神輿行列を見物している。見物人と神輿行列を割って当時は珍しかった自動車が進む。

 1927(昭和2)年に建設された北口駅舎は昭和の建築に特徴的なマンサード屋根。その駅舎が写る風景の撮影年代は不明だが、駅前広場はまだ砂利敷きだ。丸みを帯びたバスの車体やバス停に並ぶ人々、和装に割烹着をつけて買い物かごを持つ通りすがりの女性など、写真に写り込む人々や風物から当時の暮らしぶりが伝わってくる。

 さらに北口駅舎は1962(昭和37)年にモダンな駅舎に建て替えられ、出改札業務は地下に移される。1981年に荻窪ルミネ建設に伴い取り壊されたが、地下に続く階段部分はそのまま現在に残る。

 1963年ごろ撮影の写真からは、かつて荻窪駅にあった貨物ホームに荷物が山積みにされ、活況を呈していたことが分かる。

 しかし、1965年に中野-三鷹間の複々線化工事が始まり、貨物ホームは撤去。そのあとに快速線ホームが造成されていく様子など、刻々と変化を続けてきた駅とその周辺の再開発事業の経過を克明に記録する。

 そんな写真の合間に、北口バスターミナルにミツバチの大群が現れ、駆け付けたハチ屋さんが煙で誘導しながらハチを見事に箱に収めた(1967年夏=写真②)とか、青梅街道際の畑に埋まっていた不発弾処理(1971年)などのニュースも伝える。

 ほかにも、駅から四方八方にのびる各商店街の変遷、1969(昭和44)年開館の宇宙船を連想させる近未来的な科学館(科学教育センター)や、二・二六事件(1936年)の現場となった陸軍教育総監の渡辺錠太郎の邸宅、駅前にあった闇市を彷彿とさせる新興マーケットなどの在りし日の姿(写真③)、そして域内の寺社、井伏鱒二や遠藤実、大山康晴らゆかりの各界の名士まで。

 荻窪愛が凝縮した一冊。 (言視舎 2640円)

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