「下中彌三郎」中島岳志著

公開日: 更新日:

 下中彌三郎は平凡社の創業者で、「万人に教育を」との思いから日本初の大百科事典を刊行した人である。だが、その人物像は出版人の枠を大きくはみ出している。

 熱烈な愛国者で全人類愛者。子ども至上主義、女性礼賛、天皇主義、労働運動、農本主義と主義主張は大きく振れ、目まぐるしく変化する。戦前・戦中は天皇による「無私の独裁」を説き、「一君万民」のコミューンを夢想した。戦後は一転、急進的な平和主義者となり、日本における世界連邦運動を主導した。時代の流れの中でさまざまな思想、運動に飛びつき、「遊動円木」のあだ名をつけられるほどブレ続けた。

 平凡社創業100周年を記念して下中の伝記執筆を依頼された著者は、大量に残された下中の論考を読み解いて、極端に揺れる主義主張の中に一貫性を見いだそうとする。

 右派、左派の枠組みでは捉えられない下中の「思想巡礼」の根には、幼少期からの貧苦の経験があると著者は見る。

 下中は明治11年、兵庫県立杭に生まれた。2歳の時、父がキノコにあたって急死。借金のカタに家を取られ、10歳から働いた。まず家業の窯業を継いで陶工となるが、旺盛な知識欲と頑張りで教員となり、やがて編集者へと人生を切り開いていく。最下層から身を起こした下中は、全人類愛に基づく万人平等を目指し、「ユートピア的楽土」を希求した。その実現を急ぐあまり手段を選ばなかった。下中にとってアジア主義と世界連邦運動は同じ地平でつながっている。

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    ドジャース佐々木朗希に向けられる“疑いの目”…逃げ癖ついたロッテ時代はチーム内で信頼されず

  2. 2

    ドジャース佐々木朗希の離脱は「オオカミ少年」の自業自得…ロッテ時代から繰り返した悪癖のツケ

  3. 3

    注目集まる「キャスター」後の永野芽郁の俳優人生…テレビ局が起用しづらい「業界内の暗黙ルール」とは

  4. 4

    柳田悠岐の戦線復帰に球団内外で「微妙な温度差」…ソフトBは決して歓迎ムードだけじゃない

  5. 5

    女子学院から東大文Ⅲに進んだ膳場貴子が“進振り”で医学部を目指したナゾ

  1. 6

    大阪万博“唯一の目玉”水上ショーもはや再開不能…レジオネラ菌が指針値の20倍から約50倍に!

  2. 7

    ローラの「田植え」素足だけでないもう1つのトバッチリ…“パソナ案件”ジローラモと同列扱いに

  3. 8

    ヤクルト高津監督「途中休養Xデー」が話題だが…球団関係者から聞こえる「意外な展望」

  4. 9

    “貧弱”佐々木朗希は今季絶望まである…右肩痛は原因不明でお手上げ、引退に追い込まれるケースも

  5. 10

    備蓄米報道でも連日登場…スーパー「アキダイ」はなぜテレビ局から重宝される?