巨匠誕生の予感 彼はヒトの心理をコントロールする名人だ

公開日: 更新日:

「スマホを落としただけなのに」 志駕晃著/宝島社

 私は普段フィクションを読まない。嫌いなのではなく、読む時間が取れないからだ。

 今回読んだのは、10年ほど前に一緒に仕事をしたラジオ番組のディレクターが、ミステリー本を出したと聞いたから。だから、正直あまり期待していなかったのだが、読み始めると夢中になって、深夜1時まで一気に読み進めてしまった。

 物語は、主人公がタクシー乗車時にスマホを落とすことから始まる。それを拾ったのが、IT技術に長けた変質者の殺人鬼だった。殺人鬼は、拾ったスマホから主人公の個人情報を暴き、主人公の恋人に横恋慕する。そこから、主人公とその恋人は、トラブルの連続に巻き込まれていく。そして物語の最後には、想像を絶する大どんでん返しが待ち受けているのだ。

 本書は、ミステリーという範疇に収まらないカテゴリーキラーだ。SNSやスマホのリスクに警鐘を鳴らすドキュメンタリーでもあり、刑事ものの推理小説であり、猟奇もののホラー小説でもある。

 ただ、本書の一番の長所は、スピード感だ。テンポがよい一つの理由は、無駄な言葉を極限まで削り、簡潔に描写していることだ。もう一つの理由は、構成が巧みなことだ。主人公カップルの言い合い、犯人を追う警察官のやりとり、そして殺人鬼の緻密な行動が、絶妙のタイミングで場面転換していく。新人作家にできる芸当ではない。

 そして、私が一番感動したのは、殺人鬼の克明な心理描写だ。著者は、ヒトの心理をコントロールする名人だ。昔、ラジオ番組の放送中に、著者がこう言った。

「森永さん、いまこのタイミングで、バラードをBGMでゆっくり入れると出演者が泣きますよ」

 その後、出演者は本当に泣いた。

 本書では、著者のそうした心理分析能力がいかんなく発揮されている。ただ、それだけではないかもしれない。殺人鬼が抱える性的妄想のリアリティーが半端ではないからだ。著者は、スマートで、温厚な紳士なのだが、その本質は、とんでもない変質者なのではないかと疑ってしまったほどだ。

 いずれにしても、これだけ心を揺さぶられるミステリーに出合える機会はめったにない。巨匠誕生の予感がする。

★★★(選者・森永卓郎)

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1
    大谷騒動は「ウソつき水原一平におんぶに抱っこ」の自業自得…単なる元通訳の不祥事では済まされない

    大谷騒動は「ウソつき水原一平におんぶに抱っこ」の自業自得…単なる元通訳の不祥事では済まされない

  2. 2
    狙われた大谷の金銭感覚…「カネは両親が管理」「溜まっていく一方」だった無頓着ぶり

    狙われた大谷の金銭感覚…「カネは両親が管理」「溜まっていく一方」だった無頓着ぶり

  3. 3
    米国での評価は急転直下…「ユニコーン」から一夜にして「ピート・ローズ」になった背景

    米国での評価は急転直下…「ユニコーン」から一夜にして「ピート・ローズ」になった背景

  4. 4
    中学校勤務の女性支援員がオキニ生徒と“不適切な車内プレー”…自ら学校長に申告の仰天ア然

    中学校勤務の女性支援員がオキニ生徒と“不適切な車内プレー”…自ら学校長に申告の仰天ア然

  5. 5
    初場所は照ノ富士、3月場所は尊富士 勢い増す伊勢ケ浜部屋勢を支える「地盤」と「稽古」

    初場所は照ノ富士、3月場所は尊富士 勢い増す伊勢ケ浜部屋勢を支える「地盤」と「稽古」

  1. 6
    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

    渡辺徹さんの死は美談ばかりではなかった…妻・郁恵さんを苦しめた「不倫と牛飲馬食」

  2. 7
    水原一平元通訳は稀代の「人たらし」だが…恩知らずで非情な一面も

    水原一平元通訳は稀代の「人たらし」だが…恩知らずで非情な一面も

  3. 8
    「チーム大谷」は機能不全だった…米メディア指摘「仰天すべき無能さ」がド正論すぎるワケ

    「チーム大谷」は機能不全だった…米メディア指摘「仰天すべき無能さ」がド正論すぎるワケ

  4. 9
    「ただの通訳」水原一平氏がたった3年で約7億円も借金してまでバクチできたワケ

    「ただの通訳」水原一平氏がたった3年で約7億円も借金してまでバクチできたワケ

  5. 10
    大谷翔平は“女子アナ妻”にしておけば…イチローや松坂大輔の“理にかなった結婚”

    大谷翔平は“女子アナ妻”にしておけば…イチローや松坂大輔の“理にかなった結婚”