「浄瑠璃坂の仇討ち」坂本俊夫著
仇討ちといえば赤穂浪士の討ち入りが有名だが、実はそれ以前は、仇討ちといえば「浄瑠璃坂の仇討ち」だった。
赤穂浪士の討ち入りの30年ほど前の寛文12(1672)年の出来事である。
その4年前に宇都宮城主奥平忠昌の葬儀の場で、家老の奥平隼人と奥平内蔵介が口論し、抜刀しての争いが起きた。その後、内蔵介が切腹を願い出たが許されぬまま、負傷がもとで無念の死を遂げる。隼人には切腹の沙汰がなかったため、不公平と感じた内蔵介の息子、源八と親族らが、3年後、市谷浄瑠璃坂上にある屋敷で隼人を討つという事件である。
「江戸3大仇討ち」のひとつといわれ、赤穂の大石内蔵助が参考にしたという説もある仇討ちを詳細に検証した歴史本。
(現代書館 2000円+税)