「岸惠子自伝」岸惠子著

公開日: 更新日:

 岸惠子ほど、この世界を広く、深く体感した日本女性は稀有だろう。映画「君の名は」で一躍スター女優になったが、その道一筋に歩むには好奇心も冒険心もあり過ぎた。いくつもの起伏を乗り越えて、いま88歳。自分の中に積もり積もった記憶の糸を紡いで、上質な風合いの自伝を織り上げた。

 1932年、横浜生まれ。横浜空襲を辛くも生き延びたが、戦争の惨禍を目の当たりにした。きれいで知的で活発な少女は戦後、バレリーナに憧れ、小説も書いた。可能性は限りなく広がっていたが、バレエのレッスンの帰りに友人と見たフランス映画「美女と野獣」に魅せられ、映画の世界へと導かれていく。そして女優になった。

 ところが、人気絶頂だった24歳のとき、岸惠子は突如パリに行ってしまう。日仏合作映画「忘れえぬ慕情」で出会ったフランスの映画監督イヴ・シァンピと結婚するために。

《卵を割らなければ、オムレツは食べられない》

 自伝につけられたこの副題は、岸惠子の人生を貫くキーフレーズだ。スター女優の自分を捨ててパリに渡ったとき、1つ目の卵を割った。その先に新しい世界が開けた。異国での生活、ヨーロッパやアフリカへの旅、世界的著名人との交流、そして出産。やがて日本の映画界からのラブコールもあって、日仏を行き来するようになった。

 再び女優の顔を持ち始めた妻の長き不在は、夫婦の間に亀裂を生んでしまう。離婚を決めたのは妻だった。2つ目の卵を割った後、生来の冒険心が頭をもたげ、中東の紛争地やアフリカの奥地へと出かけていった。果敢だが時に無謀、危険な目にも遭った。国際ジャーナリストとしてテレビでリポートし、本を書いた。世界のいまを、時代のうねりを、五感で感じ取った。そのすべてを血肉として、岸惠子はいまも輝いている。

(岩波書店 2200円)

【連載】ノンフィクションが面白い

最新のBOOKS記事

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    巨人が李承燁コーチ就任を発表も…OBが「チグハグ」とクビを傾げるFA松本剛獲得の矛盾

  2. 2

    マエケンは「田中将大を反面教師に」…巨人とヤクルトを蹴って楽天入りの深層

  3. 3

    ドジャース首脳陣がシビアに評価する「大谷翔平の限界」…WBCから投打フル回転だと“ガス欠”確実

  4. 4

    SBI新生銀が「貯金量107兆円」のJAグループマネーにリーチ…農林中金と資本提携し再上場へ

  5. 5

    阿部巨人に大激震! 24歳の次世代正捕手候補がトレード直訴の波紋「若い時間がムダになっちゃう」と吐露

  1. 6

    陰謀論もここまで? 美智子上皇后様をめぐりXで怪しい主張相次ぐ

  2. 7

    白木彩奈は“あの頃のガッキー”にも通じる輝きを放つ

  3. 8

    渋野日向子の今季米ツアー獲得賞金「約6933万円」の衝撃…23試合でトップ10入りたった1回

  4. 9

    12.2保険証全面切り替えで「いったん10割負担」が激増! 血税溶かすマイナトラブル“無間地獄”の愚

  5. 10

    日本相撲協会・八角理事長に聞く 貴景勝はなぜ横綱になれない? 貴乃花の元弟子だから?