「85歳まで生きた若沖の画歴は長い。だけど、ずっとアマチュアだったんだと思います」──「若沖、川を下る」黒川創氏
「若沖、川を下る」黒川創著
著者は30代の終わりに初の小説「若冲の目」を書いた。それから30年近くを経て、本作でもう一度、若冲をテーマにした。
伊藤若冲は動植物の細密画で知られる18世紀の京都の画家。超リアルな極彩色の雄鶏の絵に見覚えがある人は多いだろう。
今世紀の初めに若冲ブームが巻き起こり、にわかに知名度が上がったが、著者はそのずっと前から、若冲を夢中で追いかけていた。フリーライター稼業の合間を縫って、若冲の作品を所蔵している寺や美術館、個人を訪ね歩いた。
「ただ好きだから追いかけていました。なぜこの人は、カメラもない江戸中期に、動物の一瞬の動作をとらえることができたんだろう、この人の視覚って、どんなものだったのだろう。いまだに謎ですよね」
若冲は職業絵師ではなかった。京の錦小路高倉の青物問屋の当主だったが、数え40歳で次弟に家督を譲り、隠居部屋にこもって好きな絵に没頭した。流通業の経営者からアーティストへ。現代人から見てもすてきなセカンドライフではないか。
「今でこそ40歳で隠居ですか、と思いますが、250年前ですからね。勤め上げたから、これからは好きなことをやらせてくれと、描きたい絵を描いていただけなんですよね。若冲は85歳まで生きたから、画歴は長い。墨絵や版画もたくさん残しています。だけど、ずっとアマチュアだったんだと思います」
版画「乗興舟」の旅をモチーフにした連作集
家業から解放された若冲は、40代のすべてを注ぎ込んで生涯の代表作となる「動植綵絵」全30幅を完成させ、相国寺に寄進する。大仕事をやり遂げた若冲は、1767年春、長年の友である相国寺の僧、大典とともに、伏見の川港から大坂湾までの淀川下りの旅に出る。
「若冲はこの舟旅で見た風景を『乗興舟』という長巻の作品にしました。複雑な技法を用いた版画で、詩人でもある大典が、ところどころに漢詩を寄せています。この乗興舟の旅をモチーフにして書いたらどうかな、と」
こうして生まれた本作の中を流れる川は、まっすぐひと筋に下ってはいかない。冒頭は、川の流れが始まる近江にさかのぼる。水源の琵琶湖は、高校時代の著者がボート部の練習に通ったところ。湖畔には松尾芭蕉ゆかりの寺があり、なぜか晩年の若冲が描いた花の板絵があった。その記憶は、先輩作家と銀座のランチで交わした芭蕉談議につながっていく。こんなふうに、川の流れも時の流れも行ったり来たり。流れのなかを人と出来事が去来する。若冲とかかわった人、著者が出会った人、亡き父や祖父。筆は記憶の川から現実の川にも及び、淀川水系の河川改修史まで書いてある。
「川に上流、中流、下流があって、時間にもそれがある。途中には脇道もあるし、畦道もある。僕にとっては、そのすべてが若冲の話なんですよね。だいぶ前に『オール・アバウト・マイ・マザー』というタイトルの映画があったけど、この小説は『オール・アバウト・マイ・若冲』なんです」
若冲を深く知る船頭さんのこぐ舟でゆっくりと川を下り、水の上から見たことのない景色を見せてもらった。そんな感慨を呼び起こす連作小説。 (新潮社 2640円)
▽黒川創(くろかわ・そう) 1961年、京都市生まれ。同志社大学文学部卒業。99年、初の小説「若冲の目」刊行。2008年刊「かもめの日」で読売文学賞、13年刊「国境〔完全版〕」で伊藤整文学賞(評論部門)、14年刊「京都」で毎日出版文化賞、18年刊「鶴見俊輔伝」で大佛次郎賞を受賞。おもな小説に「ウィーン近郊」「彼女のことを知っている」「この星のソウル」など。そのほか評論、エッセーなど、多くの著書がある。



















