八角理事長(2)「とにかく毎日稽古して…死に物狂いですよ」
八角理事長(63歳)
引退後も毎日ストレッチで体を動かしている八角理事長。筋肉の張り具合は迫力があります。でも、腰痛、肘痛を抱えて、なかなかストレッチ以外は思うような運動ができないようです。それでも今なお、階段はエスカレーターを使わず、自分で上り下りするなど努力の人です。現役時代もその稽古に対するストイックさは伝説的でした。
◇ ◇ ◇
──相撲を始められたのは?
「小学校の頃から、相撲取りになりたいなと思っていました。将来、お相撲さんになって、芝生つきの家を建てるのが夢でしたね」
──それは儲かるという意味ですか?
「そうです。単純です。うちの親父は90歳ですが、こんぶ採りの漁師だったんです。2、3年前まで現役でやっていたから凄いものです。でも、大変でしてね。冬場、夜中の12時ごろ家を出て行くんですよ。その背中を見たら、やらなきゃならん、と思いますね」
──実行の覚悟ができてます。ご出身は北海道ですよね。
「はい、十勝です」
──冬場は凄いでしょうね。ところで、最初は柔道をされていたと聞きましたが。
「相撲を教えてくれるところがなくて。とりあえず、柔道やっておこうかなと」
──強かったんですか?
「十勝の大会では同郷で1年先輩の芝田山親方(62代横綱大乃国)が毎回優勝してました。私は当時はあまり体重がありませんでした。100キロくらいだったと思います」
──芝田山親方は現役時代のBMIは59(189センチ/211キロ)ですから、今後の健康のためには110キロ程度にやせて欲しいですね。理事長は子どもの頃はどんな遊びを?
「漁師の息子だから、水泳やって、野球やって、柔道やって。スポーツは好きでしたね」
──相撲部屋へはスカウトですか?
「井筒親方(52代横綱北の富士)から『強くなりたいなら早く出てこい』と言われて、中学3年生で上京しまして、江戸川区にあった親方の家に住み込みです。そこから中学に通っていました」
──どんな毎日でしたか?
「朝、四股を踏んで、風呂に入って、それから朝ご飯をいただいてから学校です。帰った後は部屋の掃除、片付けです。それが若いもんの担当ですから。当時、井筒部屋は九重部屋と合併したので兄弟子が50人くらいいたんですね。もう名前を覚えるだけで大変でした」
──50人とは気遣いだけでも大変でしょうね。初土俵は昭和54(1979)年3月場所ですね。
「初日はこれまでにないくらい緊張しましたが、勝ちました。思い出の一番というと、これですね、5勝2敗で勝ち越しました。それと、横綱で3場所全休した後、優勝した平成元(1989)年の初場所。旭富士関との優勝決定戦ですかね」


















