負担をかけていた“犯人”は私でした…映画監督の太田隆文さん脳梗塞を語る

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7人分やっていた仕事を3人分まで減らした

 心臓の3本の冠動脈の手術は2回に分けて行われました。一番大変だったのは、血が十分に流れなくなり、レントゲンに写らないほど細くなった血管の手術です。先生も術前に「大丈夫」とはおっしゃらなかった。でも、手術が終わったあと先生が「太田さん、うまくいったよ。おめでとう!」と握手してくれたのです。どれだけ際どい手術だったかがうかがえました。

 こんなふうになるまで心臓に負担をかけていた“犯人”は私自身でした。映画は基本、企画から完成まで1~3年ぐらいかかります。私の映画は低予算なので、なるべく自分でやろうと思い、シナリオから製作費集め、撮影場所の選定、撮影、編集、宣伝と、1人で7役をこなすのが当たり前でした。それを17年間続けていたのです。

 当然、食生活は悪いし、不規則な生活で長い時間ストレスを抱えていました。先生によると、そうしたことで血管が詰まったり、縮んだりするようです。何年も前から、長時間椅子に座っていると、正座のしびれのような感覚がありました。でも不安になるので、考えないようにして悪化させてしまったのです。

 私はもともと心臓や脳が悪かったのではなく、ただただ無理をして脳梗塞になりました。自分で言うのも変ですが、土日も盆暮れも、休まずに仕事をしていました。それは多くの日本人にも通じるものだと思います。だからリアルに病気を伝えるため、病気が生々しいうちに撮影したい気持ちが強くありました。まだ心臓は危険値で、週に1回は介護ヘルパーさんに来てもらっている中で、映画「もしも脳梗塞になったなら」を作りました。

 病気だけじゃなく、病人を困らせる友人たちの話も描いています。悪気はないのに、知識がないので患者を傷つける人たちが数多くいました。病気になると想像以上に気が弱り、傷つきやすくなるのです。一方で、知らない人たちからは、役に立つ情報やアドバイスもたくさんあって救われましたね。

 尊敬する故・大島渚監督も脳梗塞で2回倒れました。1回目は復帰できましたが、2回目は厳しかった。私も2回目はどうなるかわからない。だから再発しないように生活を見直し、7人分やっていた仕事は3人分まで減らしました。周囲に頼ることの大切さを学びました。

 死んだ脳細胞は戻りませんが、周辺の脳が同じ働きをするようになるので、少しずつ良くなっています。「読む」はまだダメですが、「書く」はかなりできるようになりました。脳は本当に頑張り屋さんです。

(聞き手=松永詠美子)

▽太田隆文(おおた・たかふみ)1961年生まれ、和歌山県出身。世界的映画監督を多数輩出した南カリフォルニア大学・映画科で学び、帰国後、大林宣彦監督映画「理由」でメーキングを担当。2006年、和歌山を舞台にした映画「ストロベリーフィールズ」で映画監督デビュー。その後、「青い青い空」や「向日葵の丘」など青春映画を次々と発表。20日公開の映画「もしも脳梗塞になったなら」では自身の脳梗塞体験を描いている。

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