中村文則氏「公正世界仮説をやめ、個に寄り添う社会へ」
人を嫌う表現で、同じ空気を吸いたくない、という言葉がある。
相当強く嫌いであるのを意味するが、新型コロナウイルスが流行している現在、基本的に僕たちは、誰かと同じ空気をなるべく吸いたくない状況にある。改めて考えてみると、これはしんどいことだ。
感染症が広がる時は、歴史的に見ても人間の精神は荒む。こういう時こそ、何とか自分を保ちたい。
まず、普通のことを大真面目に書くが、マスクをする人間でありたいと思う。感染防止だけでなく、マスクをつけるとは、人のことを思える人間であることの態度表明だったりする。ただでさえ近年、僕は発作的な虚無に襲われるので、正気を保つためにもマスクをしている。自分はちゃんと他者と自分を気にしているという確認にもなる。世界と接するのに、口元に一枚の布が必要であるというのは不自然なことではあるけれど。
今の日本を覆う空気は、「公正世界仮説」という心理学用語で表すことができると前から感じていたが、コロナ禍でますますそうなっている印象を受ける。
社会が理不尽で危険と思うと不安になるから、人は社会が公正で安全と思いたいし、考えたくない。だから社会に問題があっても認めたくなく、何かの被害者が発生した時、あなたにも落ち度があったのではと被害者批判をすることがある。
閉店や倒産を余儀なくされた店や企業の痛みを感じるのはストレスだから、みな大変だからおまえも我慢しろとか、努力が足りなかっただとか言うようにもなる。日本は特にこの心理が強く、原因はいろいろあるが、日本で作成される多くの物語にも原因があると思う。僕は社会と物語の関係を根本から変えたいと思っているのだが、それは小説にも書いたことで長くなるし、また別の話だ。